ホセ・ケイ・カナサワとは? わかりやすく解説

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ホセ・ケイ・カナサワ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/08 23:49 UTC 版)

ホセ・ケイ・カナサワ・ガマラ(José Key Kanazawa Gamarra、金沢ホセ・ケイ、1947年8月27日[1] - 2024年2月12日[2])は、パラグアイ共和国軍人政治家日系人二世

ホセはスペイン語名、ケイは日本語名、カナサワは父姓(本来はカナザワ(金沢)だが、スペイン語のZは清音)、ガマラは母姓である。

2003年9月17日から2006年11月28日までパラグアイ共和国の陸軍海軍空軍の3軍種を統括する制服組トップとなる国軍司令官(第7代)を務めた。 国軍司令官(Comandante de las Fuerzas Militares, 3軍総司令官との表記もある)は、民主化後の1992年憲法で新設された官職であり、パラグアイ軍最高司令官たる大統領によって任命され、国防大臣に対して報告義務を負う。

退役後は文民として、2007年国家非常事態長官大臣職)に任命され入閣した。

世界で国軍最高位に就任した初めての日系人である。また、パラグアイで大臣職に就任した初めての日系パラグアイ人である。

来歴

1947年8月27日パラグアイの最初の日本人移民入植地であるラ・コルメナに生まれる。父は福島県東白川郡塙町出身の金沢喜八、母はパラグアイ人(ガマラ姓)。喜八は17歳の時に、家族4人で1937年にパラグアイに移住した。その後、首都アスンシオンに移り、造園業(Jardin Japones Kanazawa)を営む傍ら、長く福島県人会会長職を務めた。喜八と一緒に移住した長兄トモエの孫である金沢奥蔵(マウリシオ・オクゾ・カナザワ・スズキ、アスンシオン在住)は国家警察副長官(在職:1999年‐2000年)を務めた[3]

カナサワは、陸海空3軍の将校を養成する、国軍幼年学校(Liceo Militar Acosta Ñú:アコスタ・ニュー国軍高等学校)、国軍士官学校(Academia Militar Mcal. Francisco Solano López:元帥フランシスコ・ソラーノ・ロペス士官学校)へと進学し[4]、卒業後は陸軍将校として昇進を重ねた。1997年陸軍少将2000年陸軍中将2003年に陸軍中将・国軍司令官(General de Division, Comandante de las Fuerzas Militares)[5]2004年陸軍大将(General de Ejército)に昇進した。陸軍大将昇任式典には、日本から同国訪問中の小野寺五典外務大臣政務官が出席した[6]

2003年8月のニカノール・ドゥアルテ・フルートス大統領の就任に伴って、カナサワは、2003年9月17日国軍司令官(Comandante de las Fuerzas Militares)に任命された後、2004年12月に陸軍大将に昇任、2006年4月にドゥアルテ大統領の指示で、オビエド派と腐敗幹部の一掃のために、陸海空3軍幹部の大規模な人事刷新を断行し[7]2006年11月28日に退役した。軍退役後もドゥアルテ大統領の信任が厚く、2007年に同政権のキーパーソンの一人として、国家非常事態長官(SEN:Secretaría de Emergencia Nacional:大臣職)に文民として入閣した[8]

2005年のパラグアイ国日本人移住70周年にあたり、親族のオクゾ・カナサワ元国家警察副長官と共に、日本国から外務大臣表彰を受けた[9]

2008年ドゥアルテ大統領の退任に伴い、完全に公職を引退した後はアスンシオン郊外で慎ましく質素な暮らしと報じられた。家族は妻ミルタ・イサベル・カセレス(Mirta Isabel Cáseres)との間に4人の子(男女各2人)、軍医中佐のキクミ(Kikumi)、ケイミ(Keimi)、ブラス(Blas)、ケイチ(Keichi)、そして多数の孫に恵まれた。2024年2月12日老衰死と報じられた[10]

人物

文民統制

  • 20世紀後半のパラグアイでは、独裁者アルフレド・ストロエスネル将軍の軍事政権が35年間も続いた。1989年民主化支持のアンドレス・ロドリゲス将軍のクーデター後、大統領に就任したロドリゲスは新憲法を公布し民主化を推進した。1993年にフアン・カルロス・ワスモシ大統領が就任したことで39年ぶりの文民政権誕生となり、ワスモシ政権は文民統制の強化に努めた。しかし、1996年に軍部の最高実力者リノ・オビエド将軍が1996年にワスモシ大統領に対する軍事クーデター未遂事件を起こすなど民主化後も政軍関係は不安定であった。この事件当時、カナサワは第1歩兵師団参謀長であり、上官のベラスケス師団長からオビエド将軍によるワスモシ政権打倒の軍事クーデターに参画し、具体的にはワスモシ大統領を支持する海軍部隊への攻撃を準備するように命令を受けた。しかし、カナサワは、ワスモシ文民政権への忠誠を誓い、オビエド将軍に不服従を表明して命令を断固拒否した。事件後は、旧オビエド派残党から多くの政治的迫害を受けた[11]。その後もオビエド将軍派は、1999年のルイス・マリア・アルガーニャ副大統領暗殺事件に暗躍し、また2000年にも軍事クーデター未遂事件が起きる等、政情不安は続いた。2003年に就任したドゥアルテ大統領から多大な信頼を得た背景には、カナサワ将軍がかねてより文民統制シビリアン・コントロール)の重要性を強く認識していた点を指摘できる。

兵役制度

  • カナサワ退役陸軍大将は、兵役義務(徴兵制)の支持者であり、兵役は不可欠だと考えていた。彼は、兵役は国民を戦争に向けて訓練するだけでなく、愛国心家族の結束を強めることにも貢献すると述べた[12][13]

日系人と日系社会

  • 日本名である「ケイ(Key)」の漢字表記について、本人は「日本の字は覚えていない」[14]と回答した。日系パラグアイ人の多くは戦後移住者と子孫であり一般に日本語が堪能であるが、金沢家は戦前の移住者であり、母親が現地人女性であり、さらに愛国心を強く求められる職業軍人の道を選んだため、パラグアイ人としての自己意識(アイデンティティ)を強く抱いたものと考えられる。

脚注

  1. ^ 「パラグアイ=日系の陸軍司令官誕生=ホセ・ケイ・金沢氏」ニッケイ新聞(2003年8月29日)
  2. ^ “Fallecio el Gral. Jose Key Kanawawa Gamarra” abc (12 Feb de 2024)
  3. ^ 「地球探検:パラグアイ共和国(廣瀬靖夫隊員)27」 福島県国際課(2013年12月1日)
  4. ^ 薮耕太郎「パラグアイの日系社会と“NIKKEIJOURNAL”:日系1世から2世への世代交代と地域社会の変容を見据えて」 『立命館産業社会論集』 第43巻第1号(2007年6月)p.157.
  5. ^ 「パラグアイ=日系の陸軍司令官誕生=ホセ・ケイ・金沢氏」 ニッケイ新聞(2003年8月29日)
  6. ^ 「小野寺外務大臣政務官の南米訪問について(結果概要)」 外務省(平成16年12月)
  7. ^ “El presidente de Paraguay reemplazó a los altos mandos del Ejército” Infobae (24 Abril de 2006)
  8. ^ “Kanazawa es el nuevo titular de Emergencia” abc (18 julio de 2007)
  9. ^ 「表彰者名簿(1):日本国外務大臣表彰」 パラグアイ国日本人移住70周年記念祭典(2005年9月8日)
  10. ^ “Fallecio el Gral. Jose Key Kanawawa Gamarra” abc (12 Feb de 2024)
  11. ^ [1] “Velázquez nos pidió preparar ataque contra la Marina por orden de Oviedo” Última Hola (10 de Marzo, 2007)
  12. ^ “Fallecio el Gral. Jose Key Kanawawa Gamarra” abc (12 Feb de 2024)
  13. ^ “Kanazawa: “El servicio militar es fundamental”” Última Hora (25 de Agosto, 2012)
  14. ^ 「地球探検:パラグアイ共和国(廣瀬靖夫隊員)26」 福島県国際課(2013年12月1日)



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