ホセ・クレメンテ・オロスコとは? わかりやすく解説

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オロスコ【José Clemente Orozco】

読み方:おろすこ

[1883〜1949メキシコ画家革命戦線悲劇的な光景強烈なタッチ象徴的に描いた壁画で有名。

オロスコの画像
グアダラハラ官公庁壁画撮影・cultivar413 https://goo.gl/R6gUxa

ホセ・クレメンテ・オロスコ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/16 17:12 UTC 版)

ホセ・クレメンテ・オロスコ
José Clemente Orozco
1930年
生誕 1883年11月23日
メキシコ シウダード・グスマン英語版
死没 (1949-09-07) 1949年9月7日(65歳没)
メキシコ メキシコシティ
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ホセ・クレメンテ・オロスコ(Template:Lang^es, 1883年11月23日 - 1949年9月7日)は、メキシコ象徴主義の画家、メキシコ壁画運動の著名な芸術家。

生涯

『立ち上がる僧侶イダルゴ』 ミゲル・イダルゴを描いた作品

ハリスコ州のサポティアン(Zapotlán)に生まれる。学校の通学路の近くに、著名な風刺版画家のホセ・グアダルーペ・ポサダJosé Guadalupe Posada)のアトリエがあった。そこで見学して、色彩感覚などを学んだとしている。国立農業学校で農業技師の資格を得るが、卒業後、サン・カルロス美術アカデミーに通う。20歳ごろ、火薬を爆発させてしまい左手を失う。

1911年の国立美術学校のストライキに参加する。メキシコ革命さなかの1922年の技能労働者・画家・彫刻家連合にも参加する。壁画運動にも加わり、ディエゴ・リベラともに、メキシコ壁画運動を担う。オロスコ自身は、どちらかというと、メキシコ革命に批判的だったと言われる。古代メキシコ神話やメキシコの市井の市民の姿を題にして、壁画を描いた。1925年に、メキシコ市庁舎に「オムニセンス」(Omnisciencia)なる壁画を描くが、左派的な勢力の批判を受けて、1927年アメリカ合衆国に移る。アメリカのダートマス大学の壁画を完成させる。その他、アメリカにも、オロスコの壁画がある。

1934年にメキシコに帰国する。工場の機械文明に批判的なタブローを描く。国立芸術宮殿の壁画『カタルシス』や国立師範学校野外劇場の壁画『国民的寓意』等、数々の壁画を残す。

1949年9月7日に死去する。65歳であった。

ダビッド・アルファロ・シケイロスによる肖像画

日本のメディアでは、2009年8月13日に、NHKの『アートエンターテインメント 迷宮美術館』で、ホセ・クレメンテ・オロスコ特集が放映されている。また、名古屋市美術館に、オロスコの作品「メキシコ風景」が、コレクションとして収められている。

代表作

  • 立ち上がる僧侶イダルゴ (ハリスコ市庁舎)
  • 死者
  • メキシコ風景 (名古屋市美術館蔵)

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