プレジャーボートとの衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 14:28 UTC 版)
「フェリーたちばな」の記事における「プレジャーボートとの衝突」の解説
1987年11月23日、2時50分ごろ、上り第1便で小松島港から和歌山港へ向かっていた本船は、紀伊水道沼島の沼島灯台の東南東約5.3海里の地点で、機関故障により漂流していたプレジャーボート幸栄II世と衝突した。全速力で航行していた本船の右舷船首部が幸栄II世の右舷船尾部に後方から約10度の角度で衝突、本船は右舷船首部の塗装が剥離したのみであったが、幸栄II世は右舷船尾部が破損、正船尾下部に破口を生じて後部が水没状態となり、巡視艇に曳航された。また、幸栄II世には3名が乗り組んでおり、衝突直前に海中に飛び込んだ後、付近で捜索にあたっていた巡視艇りんどう(CL-152)に救助されたが、1名が頭部外傷などにより死亡、1名が全身打撲などの重傷を負った。事故原因は、夜間の航行を禁止されていた幸栄Ⅱ世が、機関故障のため錨泊した際に錨索長が不十分で走錨し、無灯火で漂流したため、とされた。
※この「プレジャーボートとの衝突」の解説は、「フェリーたちばな」の解説の一部です。
「プレジャーボートとの衝突」を含む「フェリーたちばな」の記事については、「フェリーたちばな」の概要を参照ください。
プレジャーボートとの衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:38 UTC 版)
「フェリーたかちほ」の記事における「プレジャーボートとの衝突」の解説
1999年5月16日、13時ちょうどごろ、志布志港から那覇港へ向かっていた本船は、枇榔島 (鹿児島県)の南方、志布志港南防波堤灯台から南南西に2.7海里の地点で、錨泊して釣りをしていたプレジャーボート民丸と衝突した。事故発生時は、二等航海士が単独で当直に当たっていたが、衝突に気がつかず、鹿児島海上保安部から連絡を受けるまでそのまま続航した。衝突により、本船は右舷船首部外板に擦過傷を生じ、民丸は船尾部が圧壊、船長が骨折を負った。事故原因は、本船の見張り不十分とされたが、民丸の動静監視が不十分で衝突回避措置をとらなかったことも一因とされた。
※この「プレジャーボートとの衝突」の解説は、「フェリーたかちほ」の解説の一部です。
「プレジャーボートとの衝突」を含む「フェリーたかちほ」の記事については、「フェリーたかちほ」の概要を参照ください。
プレジャーボートとの衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 15:20 UTC 版)
「フェリーらいらっく」の記事における「プレジャーボートとの衝突」の解説
1995年12月4日、14時50分ごろ、小樽港から舞鶴港へ向けて運航中だった本船は、若狭湾南西部の成生岬の北北西3.4海里の海上で遊漁中だったプレジャーボート飛龍と衝突した。衝突により本船は左舷船首部外板に擦過傷、飛龍は右舷後部外板に擦過傷、操舵室窓の破壊、ハンドレール曲損などの損傷を生じた。飛龍には、船長と甲板員の合計2名が乗船していたが、衝突直前に海面に飛び込んだ後、行方不明となり死亡認定された。事故当時の天候は雨で、海上は波の高さは約2メートルで、風浪が高く白波が立った状態だった。事故原因は、らいらっく側の見張り不十分とされたが、飛龍側が注意喚起信号と衝突回避措置をとらなかったことも一因とされた。
※この「プレジャーボートとの衝突」の解説は、「フェリーらいらっく」の解説の一部です。
「プレジャーボートとの衝突」を含む「フェリーらいらっく」の記事については、「フェリーらいらっく」の概要を参照ください。
- プレジャーボートとの衝突のページへのリンク