遊漁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 01:34 UTC 版)
近年、釣りの大衆化は著しくなっているので、そもそも「(遊びで行う)釣りとは何か?」という基本的な問いかけが誰からもまともに行われないまま、いつのまにか人類の遊びの代表格のひとつにもなってしまった感すらある。なお人類の文化と遊戯(遊び)の関係を研究したヨハン・ホイジンガの『ホモ・ルーデンス』や、ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』などの(遊びに関する、社会学的、文化人類学的)名著にすら、なぜか魚釣りは取り上げられていない。その理由はおそらく、釣りは、単に「魚捕り」の一種と考えられていたからかも知れず、つまり網打ちなど、釣り以外の漁獲法と大雑把にひとくくりにされてしまって、単に「生活の糧(かて)を得る方法の一種」という固定観念があまりに強かったからかも知れない。たしかに釣りというのは、歴史を遡れば食糧を得るために行われていたわけだが、その釣りが、しだいに遊びの要素を濃くし、今日の日本のように「釣り人口2000万人」と言われるまで膨張してきた秘密は何か? たぶんそれは、釣りという行為が、単なる(食糧を得るための)「魚捕り」以外の大きな魅力を備えているからに違いない。釣りという行為は、緊張、陶酔、解放という、一連のプロセス(一連の回路)の繰り返しである。釣りの計画・準備・出船・投餌(とうじ)といった前段階で「緊張」が高まっていく。その次に、魚信・あわせ・釣り上げ、という一連の漁獲段階で「陶酔」が釣り人に起きる。そして、やがて訪れる 充足感覚・満足感によって、釣り人の精神は「解放」されていく。 カイヨワは、「遊び」の重要な目的として、イリンクス(=眩暈、めまい)をあげているが、それは、釣りの2番目の「陶酔」にあたるものと考えても良い。このイリンクスや「陶酔」は、瞬間的に、知覚の安定を崩しつつ、一種の心地よいパニックをおこさせ、心を痙攣させるような効果がある。 男性のほうが女性より釣りを好む傾向があるのは、どうやら男性ではアンドロゲンとよばれる男性ホルモンの分泌や、アドレナリンという副腎皮質ホルモンの分泌量が女性より多いからのようであり、それらはどちらも狩猟本能や攻撃本能を増加させるからのようである。 食用になる魚を対象魚とする場合もあれば、魚釣りの過程を楽しむための遊漁もあり、後者の場合には、その場で釣った魚を再放流すること(キャッチ・アンド・リリース)が行われる場合もある。
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