遊流会と味道会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:56 UTC 版)
高木龍淵が徳光院に住山して間もない頃、弟子の関精拙と野田文一郎が神戸高商の学生達と話し合って「遊龍会」という禅会が生まれた。毎月二回提唱と参禅が行われた。それには、後に神戸経済大学(神戸大学の前身)学長となった丸谷喜一、石井光次郎らが参加した。明治・大正時代には、今と違って多くの居士達が提唱参禅に参加する機会が多かったといえる。 それとは別に、丸谷は1939年ごろから関精拙を中心とする提唱の禅会を結成し、関精拙が「味道会」と名付けた。その後は山田無文なども引き継いだ後、現在では前祥福僧堂師家の木村太邦が提唱を受け持ち、現在でも「味道会」として徳光院で続けられている。
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