フレダ・バーネル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 01:41 UTC 版)
「ハロルド・ジョーンズ (犯罪者)」の記事における「フレダ・バーネル」の解説
1921年2月5日の午後、フレダ・エルシー・バーネル (英: Freda Elsie Burnell) という8歳の少女が失踪したと両親により届け出られた。彼女は家で飼っている家畜にあげるためのニワトリ用の香辛料や砂を、近くのサマセット・ストリートにあるモーティマーズ・ストアズで買うため、アール・ストリート9番地にある自宅から出かけていた。最後にフレダを目撃したのは父のフレッド (英: Fred) で、その日の午前9時ごろのことだった。予定だった。父は帰宅したらペニー硬貨を1枚あげる約束をしていた。 1時間が経過してもフレダは家に戻らず、両親は大慌てでフレダを探しに行き、目的地だったモーティマーズ・ストアズにも足を運んだ。店員のハロルドはフレダの父に、彼女は午前9時5分ごろに店を訪ねたと説明し、後にロンドン警視庁からの聴取に対しても同様の回答をしている。ハロルドはフレダにニワトリ用の香辛料の入った袋を渡したという。フレダはニワトリ用の砂も探していたが、ハロルドは店にはバラ売りの砂しか置いていないと伝えたとも述べた。フレダはバラ売りの砂でも良いかと父に尋ねるために店を出ていき、それからフレダの姿を見ていないとも主張した。午後3時までに、バーネル一家は警察にフレダの失踪を通報した。その後、徹底的な捜索が開始された。 翌朝、フレダの遺体が鉱夫により発見された。場所はモーティマーズ・ストアズから約270メートル離れたところにある路地で、袋に入れられて隠蔽されていた。死因は頭部への鈍的外傷と、遺体の首に巻きついていた紐で首を締められたことによると判定された。死亡したのは失踪した当日の午前9時30分から午後1時の間とされた。また、フレダは猿ぐつわを嵌められており、肘は後手に縛られ、足首も縛られていたほか、犯人が強姦しようとしていた形跡もあった。トウモロコシの皮の跡が遺体に残っており、遺体の周囲や、遺体が入っていた袋にも発見された。 捜査官たちはハロルド・ジョーンズの雇い主所有の小屋の中にニワトリの囲い場があり、遺体発見現場からほんの数百メートルの距離だったことに注目した。その囲い場にはそこら中にトウモロコシの皮が散らばっていた。失踪時にフレダが所持していたハンカチも小屋の中に落ちていた。また、フレダの頭に鈍的外傷を負わせた斧の柄が小屋の中の袋地の下に隠されていた。雇い主を除けば、ハロルドは小屋へ入るための鍵を所有していた唯一の人物だった。午前9時15分から午前9時45分にかけて、ハロルドを店の中で見た者はいなかった。 ハロルドの友人であるレヴィ・メイリック (英: Levi Meyrick) は、2月5日の午後10時20分ごろにハロルドからフランク・モーティマー (英: Frank Mortimer) という少年とともに小屋についてこないように言われたと警察に伝えた。別の目撃者もバーネルが失踪した日の朝に小屋から女の子の叫び声を聞いたと証言した。これらの証拠に対し、ハロルドはフレダが失踪した日に自分は小屋にいなかったと主張した。しかし、捜査官たちはハロルドが犯人であると確信し、ハロルドをアバーティラリ警察署に留置して、検死審問の結果を待った。 3月7日、フレダの死に対する審問が開始された。ハロルドはこの審問で証言のために呼ばれた数多くの人々のうちの1人だった。ハロルドは殺人があった日の自身の行動について、矛盾する証言を繰り返し、証言の様々な箇所で嘘をついたと認めることになった (あるときには検視官が真実を話すようにハロルドを叱責した)。ハロルドを殺人と結びつける物的証拠は乏しかったが、捜査官たちは有罪にできる十分な状況証拠があると考えていた。ハロルドは4月5日の治安判事裁判の日まで留置された。この裁判ではハロルドによるフレダ・バーネルの故殺の疑いを審理することが決定された。保釈は却下され、ハロルドはアスク刑務所で裁判を待った。
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