フランスとアイルランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 14:40 UTC 版)
「英西戦争 (1585年-1604年)」の記事における「フランスとアイルランド」の解説
宗教戦争(ユグノー戦争)の最中にあったフランスでは、1589年8月にアンリ3世が暗殺されてヴァロワ朝が断絶し、プロテスタント陣営の盟主であったナバラ王アンリが王位を継承した(アンリ4世)。スペインの支援を受けたカトリック同盟はこれに強く反対しており、エリザベスはアンリ4世を支援すべくウィラビー男爵 (en) 率いる兵4,000をフランスへ派遣した。 スペインは大規模なテルシオをブルターニュに上陸させてイングランド軍を駆逐した(英仏軍はブレストは辛うじて保持している)。ノルマンディーが新たな戦線となり、そして海峡を越える侵攻のもうひとつの拠点となった。1596年にスペインがカレーを奪取したため、エリザベスは更に兵2,000をフランスへ送った。戦闘は1598年まで続き、この年にフランスとスペインはヴェルヴァン条約 (en) を締結し、ユグノー戦争とスペインの介入は終わった。 イングランドは1597年のアゾレス諸島への遠征 (en) で更なる敗北を喫している。スペインはダンケルク私掠船(Dunkirkers (en) :スペインに雇われた海賊)を用いて、英蘭船舶の損害を増大させ、更なる打撃を与えた。 1595年、アルスターの族長ヒュー・オニールとロウ・ヒュー・オドンネル (en) がイングランドの支配に対して武装蜂起してアイルランド九年戦争 (en) が勃発し、イングランドのオランダ人反乱軍支援と同じようにスペインが断続的に支援している。 イングランドがアイルランドの反乱を鎮圧すべく戦っている最中に、スペインは更なる無敵艦隊の派遣を企てた。1596年10月に出帆した艦隊はスペイン北部で嵐に遭って大損害を出し、2度目の艦隊は1597年に派遣され、イングランド沿岸まで気付かれずに近づいたが、悪天候によって頓挫している。フェリペ2世は1598年に死去し、後継者のフェリペ3世は戦争を継続したが、積極性を欠いていた。 1601年末に最後の無敵艦隊が北方へ派遣された。この時は、反乱軍を支援するために南アイルランドに兵を上陸させる限定的な遠征だった。キンセール市 (en) に入城したスペイン軍兵3,000は、すぐさまイングランド軍に包囲された。程なく同盟アイルランド軍が到着して包囲軍を逆包囲したが、反乱軍の連携は貧弱で、キンセールの戦い (en) はイングランド軍の勝利に終わった。スペイン軍はイングランド軍の輸送を妨げる拠点としてキンセールを保持するよりも、降伏を受け入れて帰国してしまった。一方、反乱軍は戦いを続け、エリザベスが死去した直後の1603年4月2日にようやく降伏した。
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