ファントム・サブミッション・マッチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 04:57 UTC 版)
「デビッド・サンマルチノ」の記事における「ファントム・サブミッション・マッチ」の解説
1985年11月22日、ペンシルベニア州フィラデルフィアのフィラデルフィア・スペクトラムで開催されたプリズム(英語版)のTV興行にて、デビッドはベテランのジョバーである"ビッグ" ロン・ショーとシングルマッチで対戦した。ブルーノが絡まない興行では基本的に前座試合に甘んじていたデビッドにとって、地元ペンシルベニアでの凱旋興行におけるセミファイナル出場を与えられた形となったが、そのような状況下でショーはデビッドにシュートを仕掛けた。 試合開始後間もなく、ショーはデビッドをコーナーポストに強烈に叩き付け、その直後からボディスラムを7連発。デビッドは3発目を喰らった時点で、すでにショーのフォールを返せないほどのグロッキー状態となり、異常な事態を察知した会場は騒然となった。結局、デビッドはショーにベアハッグを極められた直後にギブアップの意志を示し、レフェリーのダスティ・フェルドバウマーが試合を止める形でデビッドの敗退が決まったが、会場は混乱の極みに達し、フェルドバウマーがショーの勝利を宣告するまでには暫くの時間を要するほどであった。実況担当者も事態を飲み込むことが出来ず、コメンテーターのゴリラ・モンスーン(ブルーノの古い友人でもある)も狼狽して「デビッドはギブアップしていない。彼は子供の頃から勝利を諦めたことはない」と無理な擁護をしたことから、この試合はWWFのファンの間ではファントム・サブミッション・マッチ(The Phantom Submission Match)と呼ばれるようになり、1980年代のWWFを代表する不穏試合として記憶されることとなった。 以後、デビッドは試合を組まれることが無いまま、1986年初旬にWWFを解雇された。1984年に始まったWWFの全米侵攻の折、マクマホンは引退していたブルーノを現役に復帰させるためだけにデビッドを雇用したとされており、起用法を巡ってサンマルチノ父子とは常に確執を抱えていたという。現役復帰後のブルーノは、ロディ・パイパーやランディ・サベージとの抗争で視聴者の支持を得るようになり、マクマホンは用済みとなったデビッドを放逐する名目を作るべく、ロン・ショーにシュートを仕掛けさせたとされている。後年のインタビューではデビッド本人もマクマホンとの確執を認めており、ショーも「ビッグ・アプセット(大番狂わせ)」とも呼ばれたこの試合について問われた際「あの試合が何であったのかを決めるのは、プロレスファン次第でしかない」と答えるだけであったという。 なお、デビッドは1987年7月にWWFに復帰するが、翌1988年3月9日、ニューヨーク州ウォータータウンで行われたハウス・ショーで、スティーブ・ブラックマンに敗退した直後、観客と口論になり乱闘沙汰を起こして警察に逮捕される騒動を起こしている。事態を重く見たWWFはデビッドを再び解雇、その後デビッドはWWFへ復帰することは無かった。後年、デビッドがインタビューで語ったところによると、会場で執拗に絡んできた相手は巨漢の男性で、怪我をさせるような行為はしていなかったにも関わらず(アメリカではファンがレスラーに不用意に手を出した場合、時に手痛い報復を受ける不文律がある)、解雇されただけでなくロイヤルティーを踏み倒される事態にまで至ったことは過度に重い処罰であり、ブルーノも「この事件は(発生の1週間前に)私がWWFを離脱したことに対するビンス・マクマホンからの報復だろう」と語っていたという。
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