ファトフ軍結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/21 00:14 UTC 版)
「シャーム自由人イスラム運動」の記事における「ファトフ軍結成」の解説
2015年3月、「運動」はシャームの鷹旅団との合併組織としてシャーム自由人イスラム戦線を結成した。 2015年3月、ヌスラ戦線を含む複数のスンニ派武装組織と共にファトフ軍を結成した。 イドリブ県の県都イドリブは、2015年3月に「運動」とヌスラ戦線を中心としたファトフ軍に支配された(イドリブの戦い)。 4月頃に「闘いの勝利連合」を、さらに7月には「アンサール・アル・シャリーア」なる連合体をそれぞれ結成し、イドリブ県・アレッポ県・ハマー県などで政府軍などに対する攻撃を実行した。 10月、ロシア連邦航空宇宙軍によるシリア空爆が行われると、「運動」支配地も空爆に晒された。 指導者オマルは12月に声明を出し、反体制派間の争いや支援の減少などによって革命が弱まっているとし、反体制派勢力や市民の団結を訴えるなどした。 2016年1月、ヌスラ戦線を中心にファトフ軍加盟組織の完全統合に向け協議が行われたが、「運動」はヌスラ戦線とアルカイダの関係性を理由に反対したとされる。ヌスラ戦線は同年7月にアルカイダ離脱とシリア征服戦線(JFS、旧ヌスラ戦線)設立を表明した際、「運動」はこれを祝福する一方で、アルカイダ離脱を証明するよう求めたとされる。 ヌスラ戦線の分派、ジュンド・アクサー機構はIS共鳴者も多く、「運動」と度々衝突した。2016年9月に「運動」がジュンド・アクサー機構を破ると、同機構はJFSに吸収統合された 12月、「運動」は他の反体制派とともに包囲下のアレッポから撤退し、アレッポの戦いで敗北を喫した。 アメリカ合衆国のバラク・オバマ政権末期、アメリカ空軍がヌスラ戦線に空爆を行うようになった。これはピンポイントにJFS幹部の所在地を叩くもので、あまりの正確さに「運動」が情報を漏らしているのではないかとの疑念が生まれた。 こうした背景をもとに2017年1月、シリア征服戦線の旧ジュンド・アクサー機構メンバーらがイドリブ県ザーウィヤ山地方一帯の「運動」拠点を襲撃した。JFSは旧ジュンド・アクサー機構メンバーの破門で事態収拾を図ったが、戦闘は拡大した。「運動」はイスラム軍、ムジャーヒディーン軍、「命じられるまま正しく進め」連合とともに、旧ジュンド・アクサー機構掃討を本格化させた。旧ジュンド・アクサー機構の反「運動」派はJFSから分裂し、その一部は東トルキスタンイスラム運動の仲介でISに加わるためにラッカ方面へと移動した。
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