ヒューストン・ダイナモ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/17 23:58 UTC 版)
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ヒューストン・ダイナモFC Houston Dynamo FC |
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原語表記 | Houston Dynamo FC | ||
愛称 | Dynamo | ||
クラブカラー | 橙 | ||
創設年 | 2005年 | ||
所属リーグ | メジャーリーグサッカー | ||
所属ディビジョン | ウェスタン・カンファレンス | ||
ホームタウン | ヒューストン | ||
ホームスタジアム | ![]() |
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収容人数 | 22,000 | ||
監督 | ![]() |
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公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ヒューストン・ダイナモFC(英語: Houston Dynamo FC)は、アメリカ合衆国の南部、テキサス州の都市ヒューストンにホームを置くサッカークラブである。メジャーリーグサッカー所属。
概要
ヒューストン・ダイナモは2006年シーズンからメジャーリーグサッカーに登場する、新クラブである。
2011年シーズンまではヒューストン大学キャンパス内にあるロバートソン・スタジアムをホームスタジアムとしていたが、2012年にサッカー専用スタジアムのBBVAコンパス・スタジアムが新設され、同シーズンより本拠地として使用している。
サンノゼからヒューストンに移転した理由の一つとして、サンノゼでは手に入らなかったサッカー専用スタジアムが、ヒューストンでは手に入ると言う思惑があったためでもある。
名称
Dynamoという名称が決定されるまでは、かなりの紆余曲折があった。
クラブは名称の決定に当たって、オンラインでの公募を行った。この時に候補となった名称は、Apollos(アポロス)、 Bulls(ブルス)、 Eagles(イーグルス)、 Gatos(ガトス)、 Lonestars、Stallions、Toros(トロス)、 Americans(アメリカンズ)、Buffalos(バファロース)、Generals(ジェネラルス)、Houston 1836(ヒューストン1836)、Mustangs(ムスタングス)、Star(スター)等があった。ApollosやEaglesはアポロ計画にちなんだものである。(ヒューストンにはアメリカ航空宇宙局の有人宇宙船の管理センタージョンソン宇宙センターがある。イーグルはアポロ11号の月着陸船)
2006年1月には、上記候補の中から、テキサス独立戦争の英雄、サム・ヒューストンの名前から「ヒューストン」と言う市名が与えられた1836年にちなむ「ヒューストン1836」(Houston 1836)と言う名称が決定した。
ところが、この名称はヒューストンのメキシコ系移民のコミュニティから猛反発を受ける事になった。テキサスは元々メキシコ領であったが、1830年代になってテキサスに移住したアメリカ系移民が、メキシコからの分離、将来的なアメリカ合衆国への編入をめざして独立戦争を引き起こした。このテキサスの独立戦争は合衆国政府の本格的な介入を引き起こし米墨戦争の発端となった。この戦争の結果メキシコはテキサスだけでなくカリフォルニアも喪失する事になった。当にメキシコにとっては負の遺産になるわけであるが、メキシコ系移民のコミュニティはこうした歴史的経緯から「ヒューストン1836」と言う名称に対して猛反発を起こしたのである。
ここで注意すべき点は2つある。まず、メキシコ系移民がテキサスにおいて政治的な発言力を強めている事。もう1つは、クラブ・デポルティボ・チーヴァス・USAのようにアメリカではサッカーのマーケットが従来の文化からはまだまだ注目され得る存在になれていないのに対して、ヒスパニック系はアメリカ合衆国のサッカーにとって重要なマーケットになっている事である。
これらの経緯から「ヒューストン1836」と言うクラブ名は断念され、代わって「ヒューストン・ダイナモ」と言う名称が決定された。Dynamoという名称は旧社会主義国の元秘密警察系サッカークラブと捉えられるが、テキサスにおけるエネルギー産業にちなんだ名称であり、1984年のUnited Soccer League (USL)、そして1987年から1991年までLone Star Soccer Alliance (LSSA)に所属していたプロ・クラブヒューストン・ダイナモス (Houston Dynamos)にも由来する。
歴史
ヒューストン・ダイナモは2005年シーズンまで同じメジャーリーグサッカーに参加していたサンノゼ・アースクエイクスに代わって、ホームをサンノゼからヒューストンに移して発足したクラブである。スタッフ、選手はサンノゼ・アースクエイクスから引き継いでいるが、名称、ロゴ、歴史、サンノゼ時代の経歴は継承しておらず、全く新しいクラブとして扱われている。
2006年シーズンはヒューストン・ダイナモにとって最初のシーズンであったが、ウェスタンカンファレンス2位でプレーオフに進出し、MLSカップでシーズン優勝を飾った。
2007年シーズンも、ヒューストン・ダイナモはMLSカップを制し、MLS史上2チーム目となる連覇を達成した。
2014年より女子チームであるヒューストン・ダッシュを結成。
タイトル
国内タイトル
過去の成績
年 | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 点 | レギュラー | 全体 | プレーオフ | オープンカップ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 32 | 11 | 8 | 13 | 44 | 40 | 46 | 西2位 | 5位 | 優勝 | 準決勝敗退 |
2007 | 30 | 15 | 8 | 7 | 43 | 23 | 52 | 西2位 | 3位 | 優勝 | ベスト16 |
2008 | 30 | 13 | 5 | 12 | 45 | 32 | 51 | 西1位 | 2位 | C-準決勝敗退 | ベスト16 |
2009 | 30 | 13 | 8 | 9 | 39 | 29 | 48 | 西2位 | 3位 | C-準優勝 | 準決勝敗退 |
2010 | 30 | 9 | 15 | 6 | 40 | 49 | 33 | 西7位 | 12位 | ─ | 準々決勝敗退 |
2011 | 34 | 12 | 9 | 13 | 45 | 41 | 49 | 東2位 | 6位 | 準優勝 | ─ |
2012 | 34 | 14 | 9 | 11 | 48 | 41 | 53 | 東5位 | 9位 | 準優勝 | ベスト32 |
2013 | 34 | 14 | 11 | 9 | 41 | 41 | 51 | 東4位 | 9位 | C-準優勝 | 4回戦敗退 |
2014 | 34 | 11 | 17 | 6 | 39 | 58 | 39 | 東8位 | 14位 | ─ | 5回戦敗退 |
2015 | 34 | 11 | 14 | 9 | 42 | 49 | 42 | 西8位 | 15位 | ─ | 準々決勝敗退 |
2016 | 34 | 7 | 14 | 13 | 39 | 45 | 34 | 西10位 | 19位 | ─ | 準々決勝敗退 |
2017 | 34 | 13 | 10 | 11 | 57 | 45 | 50 | 西4位 | 10位 | C-準優勝 | 5回戦敗退 |
2018 | 34 | 10 | 16 | 8 | 58 | 58 | 38 | 西9位 | 18位 | ─ | 優勝 |
2019 | 34 | 12 | 18 | 4 | 45 | 57 | 40 | 西10位 | 19位 | ─ | ベスト16 |
2020 | 23 | 4 | 9 | 10 | 30 | 40 | 21 | 西12位 | 25位 | - | - |
2021 | 34 | 6 | 12 | 16 | 36 | 54 | 30 | 西13位 | 25位 | - | - |
2022 | 34 | 10 | 6 | 18 | 43 | 56 | 36 | 西13位 | 25位 | - | ベスト16 |
平均観客動員
年 | レギュラーシーズン | プレーオフ |
---|---|---|
2006 | 18,935 | 20,274 |
2007 | 15,883 | 30,530 |
2008 | 16,939 | 30,053 |
2009 | 17,047 | 27,465 |
2010 | 17,310 | ─ |
2011 | 17,694 | 24,749 |
2012 | 20,985 | 21,395 |
2013 | 19,923 | 21,395 |
2014 | 20,117 | ─ |
2015 | 20,618 | ─ |
2016 | 19,597 | ─ |
2017 | 17,500 | |
2018 | 16,906 | ─ |
2019 | 15,674 | ─ |
2020 |
現所属メンバー
- 2021年8月8日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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ローン移籍
- in
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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- out
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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加入内定選手
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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歴代監督
ドミニク・キニア 2006-2014
オーウェン・コイル 2015-2016
ウェイド・バレット 2016
ウィルマル・カブレラ 2017-2019
デイヴィー・アルノー 2019
タブ・ラモス 2020-
歴代選手
GK
DF
ジェフ・キャメロン 2008-2012
ダマルカス・ビーズリー 2014-2019
MF
クリス・ウォンドロウスキ 2006-2009
スチュアート・ホールデン 2006-2009
ドウェイン・デ・ロサリオ 2006-2008
リカルド・クラーク 2006-2009, 2012-2017
オスカル・ボニエク・ガルシア 2012-
クリスティアン・マイダナ 2016
FW
ブライアン・チン 2006-2013
ブラッド・デイヴィス 2006-2015
ジレス・バーンズ 2012-2016
エリック・トーレス 2015-2017
マウロ・マノタス 2015-
ビセンテ・サンチェス 2017
外部リンク
ヒューストン・ダイナモ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 08:29 UTC 版)
「ジェフ・キャメロン」の記事における「ヒューストン・ダイナモ」の解説
2008年度のMLSスーパードラフトで全42巡中3巡目にヒューストン・ダイナモから指名されてプロキャリアを開始し、3月29日のニューイングランド・レヴォリューション戦(3-0)で途中出場からプロデビューを飾ると、4月6日のFCダラス戦(3-3)で試合終了間際に同点弾にしてプロ初得点を記録した。 プロ1年目ながらシーズン中盤まで主に控えとして過ごしつつ、時には先発出場して自身の力を証明していったことで10月31日にショーン・フランクリン(en)とムホヘリ・ドゥベ(en)と共に年間最優秀新人賞(英語版)の最終選考に選出されたことが発表された。最終的にデビュー年は、スーパーリーガとCONCACAFチャンピオンズリーグ躍進に重要な役割を果たし、リーグ戦では32試合に出場してMLSカッププレーオフ(英語版)準々決勝に進出したが、ニューヨーク・レッドブルズに敗れた。また、リザーブチームの方でも出場してMLSリザーブリーグ(英語版)優勝を果たしている。 2009年シーズンは主力として主にセンターバックとしてプレーし、レギュラーシーズンで1試合を除く全試合に出場して再度プレイオフ進出に貢献すると、シアトル・サウンダーズFC戦(1-0)で勝利するも、カンファレンス・ファイナルズのロサンゼルス・ギャラクシー戦(0-2)で敗退となった。リーグ戦以外では、サンディで行われたイングランド1部のエヴァートンFCとのMLSオールスターゲーム(1-1)に選出されて90分フル出場した。また、同シーズンのベストイレブンにも選出された。 2010年シーズンは、中盤を務めていたスチュアート・ホールデンとリカルド・クラークがそれぞれ国外移籍をしたことでキャメロンは再び中盤でプレーすることとなり、4月17日のチーヴァスUSA戦で得点を挙げる等、本来の守備力のみならず攻撃力も披露して活躍を示していたが、24日のシカゴ・ファイアー戦で膝を負傷したことで長期の欠場を余儀なくされた。膝の手術を受けた後、8月に練習に戻り、5日のモナルカス・モレリアとのスーパーリーガでブライアン・ミュラン(en)に代わって71分から復帰を果たすと、9月25日のDCユナイテッド戦でブラッド・デイヴィス(en)のフリーキックから頭で得点した。最終的に負傷の影響により17試合に出場機会が限られ、また、チームも7位で終える等、良くないシーズンとなった。 再びレギュラーに返り咲いた2011年シーズンは、負傷の影響を感じさせないパフォーマンスを中盤で示しつつ、ジャーメイン・テイラー(en)とアンドレ・エノー(en)がそれぞれ2011 CONCACAFゴールドカップに参加するために不在時やルイス・カマルゴ(en)加入の度にドミニク・キニアー(en)監督の要請に応じて務めたセンターバックでも活躍を見せ、レギュラーシーズンを2位でプレーオフ進出に大きく貢献し、同プレーオフでは、スポルティング・カンザスシティを2-0で破ってMLSカップに到達した。しかし、ロサンゼルス・ギャラクシーとの決勝戦に先発出場したキャメロンは、アダム・クリストマン(en)との競り合いで後方に落下した際に昨年負傷した右膝を痛めると、ハーフタイム中にキニアー監督と議論した結果、後半も出場することとなったが、ゴール前まで迫ったランドン・ドノバンに負傷の影響から対応しきれずに得点を許してしまい、最終的にそれが決勝点となってタイトル獲得とはならなかった。同シーズン中は、再びオールスターに選出されてマンチェスター・ユナイテッドFCと対戦することとなり、ジャミソン・オラベ(en)に代わって32分から出場したが、ダニー・ウェルベックのシュートに対して振り上げた足によりボールの軌道が変化してしまい、失点に関与した。2012年シーズンは、夏に国外移籍するまでの間で15試合に出場した。
※この「ヒューストン・ダイナモ」の解説は、「ジェフ・キャメロン」の解説の一部です。
「ヒューストン・ダイナモ」を含む「ジェフ・キャメロン」の記事については、「ジェフ・キャメロン」の概要を参照ください。
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