パタゴニアと反乱とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > パタゴニアと反乱の意味・解説 

パタゴニアと反乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 02:09 UTC 版)

フェルディナンド・マゼラン」の記事における「パタゴニアと反乱」の解説

リオ・デ・ジャネイロ地方を後にした艦隊香料諸島通じ海峡探して南アメリカ東岸南下するソリス探索しおそらくは海峡でなく川であろう結論したラプラタ川マゼランは探るがやはり海峡ではなく、さらに南下しパタゴニアのサン・フリワン湾に到達する厳しパタゴニアの冬を迎えしばらく停泊している艦隊マゼラン食料節約命ずる。しかし、豊かで友好的な交流持ったリオ・デ・ジャネイロ地方での良い経験比べ厳しく寂しパタゴニアでの停泊船員達には不満がつのっていった。その雰囲気の中でスペイン人幹部反乱を起こす航海出発早々マゼラン衝突し逮捕され艦隊総監察官でサン・アントニア号の元船長でもあるスペイン人カルタヘナは同じスペイン人のガスパル・デ・ケサーダが船長務めコンセプシオン号に囚われていたが、ケサーダおよびサン・アントニオ号の前船長のスペイン人コカと謀ってサン・アントニオ号を急襲ポルトガル人船長メスキータ拘束し副長殺してサン・アントニオ号を手中にする。さらにビクトリア号スペイン人船長加わって5隻の内3隻が反乱側に付く事態となった。しかしスペイン人幹部反乱起こしたもののスペイン王信任総司令官地位にあるマゼランを完全に退けることも躊躇しているうちに、マゼランすばやく反撃ビクトリア号船長刺殺して反乱制圧する反乱首謀者カルタヘナ加担した司祭追放、ケサーダを斬首、その他反乱側は鎖につながれ船の補修作業従事させ反乱収めた。これ以降スペイン人しぶしぶマゼランに従うが、マゼランへの反感根強く残り、後にフィリピン・マクタン島マゼランが敵の大軍囲まれているときにスペイン人救援出さずマゼラン見殺しにすることになる。反乱収めた後、停泊中のマゼランたちはピガフェッタが巨人と呼ぶ原住民出会うマゼランは彼らにパタゴン名付けるが、これはパタゴニア地名の由来となっている。 「パタゴン」も参照 艦隊1520年8月24日航海再開香料諸島通じ海峡探してさらに南下続けるが、それまで調査航行中サンティアゴ号が難破して失われてしまった。 そして1520年10月21日、ついに西の海へと抜け海峡発見した。これは後にマゼランの名前をとってマゼラン海峡呼ばれることになる。しかしマゼラン海峡抜け途中で艦隊最大の船であったサン・アントニオ号(エステバン・ゴメス航海長である)がはぐれたサン・アントニオ号の船長メスキータはあくまで艦隊探し合流することを主張した航海長ゴメス反対して船長拘束艦隊に残る食料多く積んだまま、スペイン引き返し1521年5月6日スペイン帰国した艦隊2年積み込んだはずの食料が2重に領収する手違いもあってマゼラン海峡途中時点で既に残り3ヶ月分しかなく、ゴメスはたった3ヶ月分の食料未知海洋乗り込むことを恐れ反対したがマゼラン退けられマゼランへの反抗心を持ちサン・アントニオ号が艦隊はぐれたことをきっかけスペインへの帰国主張したゴメス乗組員支持したものとされている。世界周航達成後にこのことを知ったピガフェッタはその背景ゴメス一度は手にしそうになった艦隊指揮権マゼラン取られたことで憎しみ持っていたからだと推測している。 マゼラン艦隊マゼラン海峡を進むと左側の島でおびただしい数の火が見えたマゼランたちは艦隊見つけたこの地方住民たがいに合図烽火上げているのだろうと推測している。しかし、マゼランたちは住人の姿は見ていない。このエピソードから後にティエラ・デル・フエゴ(火の島)と名付けられたこの島は人が住む世界最南端の地である。 ゴメス反乱サン・アントニオ号が勝手に帰国してしまい艦隊は3隻となってしまったが、そのこと知らないマゼラン海峡のなかでサン・アントニオ号が戻ってくるのを待つ。待っている間に海峡前途小艇偵察に出すが、3日後に戻ってきた小艇海峡抜けたところに広大な海を見つけた報告するマゼランはついに大西洋から太平洋につながる航路発見したのだった。ピガフェッタは「提督喜びのあまりはらはらと涙を流し水路出口の岬を「待望の岬」と命名した-ピガフェッタ(2011)、p.49」と伝えている。やがてサン・アントニオ号の捜索あきらめた艦隊先に進み11月28日ついに太平洋到達する。狭いが複雑に入り組んだ海峡慎重に探りながら進んだことと、勝手に帰国したサン・アントニオ号をはぐれてしまったのだと思って待ち続けたことで海峡抜けるのに1ヶ月以上もかかってしまった。

※この「パタゴニアと反乱」の解説は、「フェルディナンド・マゼラン」の解説の一部です。
「パタゴニアと反乱」を含む「フェルディナンド・マゼラン」の記事については、「フェルディナンド・マゼラン」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「パタゴニアと反乱」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パタゴニアと反乱」の関連用語

パタゴニアと反乱のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パタゴニアと反乱のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのフェルディナンド・マゼラン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS