パタセ大統領との衝突
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/25 21:32 UTC 版)
「フランソワ・ボジゼ」の記事における「パタセ大統領との衝突」の解説
2001年5月28日、パタセ大統領に対するクーデターが発生したが、リビア軍やコンゴ民主共和国の反政府勢力であるコンゴ解放運動(MLC)の協力もあり、未遂に終わった。しかし、このクーデター未遂事件の後、ボジゼの大統領に対する忠誠心が疑われ、同年10月下旬に軍参謀長の職を解かれてしまう。ボジゼとパタセの間における争いの発端は、同年11月3日に政府がボジゼを逮捕しようとした時である。5日後、政府軍はリビア軍の支援を得てボジゼの拠点を攻撃し、ボジゼは北のチャドに逃れた。 2002年も政府軍とボジゼの勢力との争いが続いた。ボジゼの勢力は10月25日から10月31日にかけて首都バンギを攻めたが、失敗に終わった。 この間、パタセ政権とチャドとの間で緊張が高まった。パタセ政権を支える与党は、ボジゼを人的面でも設備的面でもサポートし中央アフリカを混乱させたとして、チャドのイドリス・デビ大統領を非難している。
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