パタゴンの実際
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 10:03 UTC 版)
マゼランがパタゴンと名付けた人々は、その出会いの場所から今で言うテウェルチェ族であろうとされている。当時のテウェルチェ族は南アメリカでもっとも未開な部族の一つで農業を知らず、狩猟と単純な植物採取で暮らしていた。テウェルチェ族は日本の2倍の面積の広大なパタゴニアに分布する先住民族の総称で、多くの支族があり、18世紀以降の報告者は支族名で彼らを呼ぶことも多い。マゼラン遠征の時代1520年はスペインのインカ帝国侵略の直前で南米にはアンデス文明などの諸文化があったが、アンデス文明の地に栄えたインカ帝国からは遠く離れた辺境にくらすテウェルチェ族は文明というほどの文化は持たなかったようである。彼らの1支族の1938年の調査では彼らの身長は男子で平均183.7センチメートルとされ、巨人伝説は極端な誇張であったとしても、マゼランたちが出会った先住民族は実際に背の高い人々であった可能性は高い。 パタゴニアには1万年前にはすでに原始狩猟民族が住んでいた。 約17万年前にアフリカに誕生した現生人類は、約7-8万年前にアフリカを出て西アジアに移住し、その後さらにユーラシア大陸全土に広がっていった。東アジアに移住した人々はさらに氷河期で海面が下がりシベリアとアラスカの間のベーリング海峡が歩いて渡れる時代にシベリアからアラスカにわたり、さらにアラスカから北米・中米、南米と移住を続けた。パタゴニアはアメリカ大陸の南端の地でありそれより先に大地は無い。したがって、パタゴニアの先住民はアフリカで誕生した現生人類のなかでもっとも遠くに移住した人々である。パタゴニアの北西端、チリ領内にあるモンテ・ベルデ遺跡ではおよそ12500年前に人が住んでいたことが証明されていて、またパタゴニア南部のクエバ・デ・ラス・マノス(手の洞窟)は約9000年前にテウェルチェ族の祖先である先住民が作ったものとされている。 パタゴニアは農業には向いた土地ではなくテウェルチェ族は最後まで狩猟民族として終ることになった。
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