パタゴンたちのその後とは? わかりやすく解説

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パタゴンたちのその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/08 10:03 UTC 版)

パタゴン」の記事における「パタゴンたちのその後」の解説

16-18世紀ヨーロッパで巨人思われていたパタゴンおそらくは実在テウェルチェ族は文字持たず定住もしない民族であったため、どの程度勢力であったのかはよくはわかっていない。ただし、16世紀ネグロ川以南はほぼテウェルチェ族支配地で1万程度であったではないか推定されている。 パタゴニア以外のインカ帝国など南米各地の人々16世紀中にはヨーロッパ人激し簒奪遭い殺され、その支配下におかれ衰弱していったが、辺境農業向かないパタゴニアヨーロッパ人進出してくるのは少し先であった18世紀半ばスペインへの対抗勢力であるチリマプチェ族アラウカノ族)がパタゴニア勢力伸ばしテウェルチェ族はその文化にも影響を受け(アラウカノ化)ていき(テウェルチェの名自体マプチェ語由来するものである)勢力衰えていった。さらにヨーロッパ人大陸から持ち込んだ天然痘チフス麻疹などの伝染病インカをはじめ免疫を持たなかった南アメリカ諸民族甚だしく減少させたが、ヨーロッパ人持ち込んだ伝染病免疫を持たなかった点はテウェルチェ族についても同様であり疾病人数減らしている。 気候厳しパタゴニアへのヨーロッパ人の入植遅かった19世紀1865年最初パタゴニアへのヨーロッパ人入植始まり、さらに1879年フリオ・ロカ将軍によるインディオ討伐戦開始されて、伝染病から逃れて生き延びた少数テウェルチェ族たちは次々殺され追い詰められていき、1885年最後テウェルチェ族長が降伏しテウェルチェ族自立した民族としては壊滅した日本の2倍強にあたる広大な面積パタゴニア現在のテウェルチェ族200程度とされている。

※この「パタゴンたちのその後」の解説は、「パタゴン」の解説の一部です。
「パタゴンたちのその後」を含む「パタゴン」の記事については、「パタゴン」の概要を参照ください。

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