バーモント州での政治活動
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「ハワード・ディーン」の記事における「バーモント州での政治活動」の解説
1980年、ディーンはバーモント・ニューヨーク州境に位置するシャンプラン湖の開発に反対する市民運動に参加し、これに成功した。同じ年に再選を目指すジミー・カーター大統領の民主党予備選、大統領選でのキャンペーンに参加した。1982年、バーモント州下院議員選挙に民主党から立候補、当選を果たす。1986年にはバーモント州副知事に選出され、州下院を去る。州下院議員、副知事時代を通じて彼は医師としての活動を継続しながら政治活動を行った。 1991年、リチャード・スネリング知事(共和党)が急死すると、ディーンはバーモント州知事に昇格した。バーモント州知事は1期2年であるが、彼は1992年、1994年、1996年、1998年、2000年と5回連続で当選し、2003年まで12年にわたって知事を務めた。バーモント州知事として、ディーンは中道派として知られた。その中道を行く政治姿勢は、身内の民主党員からいったいどちらの政党に属しているか分からないといわれたほどであった。バーモント州は州憲法で財政についての条項のない唯一の州であるが、彼は均衡財政を志向し、在任中実に11回にわたって財政均衡に成功した。そのために福祉、環境保護などのプログラムに対する予算を削減したことはリベラル派からの批判を受けた。だが、ディーンはこれにより州の債務を削減した。同時に州の債権への格付けが上昇し、在任中に二度、減税を実施した。また、彼は税制を含めて企業寄りの経済政策を採った。さらに銃規制に反対の立場をとり、選挙戦では全米ライフル協会の支援を受けた。一方で医師としての経験を生かし、ディーンは医療保障プログラムに取り組んだ。彼は州内の殆ど全ての子供、妊婦を対象とした医療保険制度を構築した。2000年にバーモント州最高裁判所は、同性愛者のカップルを排除した州の結婚に関する法律が州憲法に違反するとの判決を下した。これに対し、ディーンは同性愛者のカップルに夫婦同様の法的権利を保障するシヴィル・ユニオン法を制定した対応したが、同性愛者同士の結婚自体は合法化しなかった。一部の急進的なリベラル派は、この姿勢も彼の中道派としてのスタンスを反映していると看做した。
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