バーモント大学学生時代とミシガン大学教授
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「ジョン・デューイ」の記事における「バーモント大学学生時代とミシガン大学教授」の解説
1859年、アメリカバーモント州バーリントン町の食料品店に、父アーチボルトと母ルシナの三男として生まれる。デューイ家はイギリスから移住してきた開拓者の末裔で、父はその四代目だった。裕福とはいえず、少年時代のジョン・デューイは、新聞配達や農場の手伝いなどをして小遣いを稼いでいた。 15歳のとき、兄のDavis Rich Dewey(1858-1942、のち経済学者・統計学者)が通っていた名門バーモント大学に入学。大学ではチャールズ・ダーウィンの進化論やオーギュスト・コントの実証主義哲学・社会哲学などに感化された。成績優等のためThe Phi Beta Kappa Societyに入会。 バーモント大学卒業後はペンシルベニア州で高校教師を2年間務めたが、中等高等教育機関での教師には自分は向かないと考えるようになり、バーモント州の小学校で一年ほど勤務する。1882年、ジョンズ・ホプキンズ大学大学院に再入学し、心理学者スタンレー・ホールのもとで学んだ後、同大学心理学研究所で働きながら、博士号を取得。出版されず紛失した博士論文の題は「カントの心理学」だった。1884年からミシガン大学に勤務。2年間講師を務めたあと、助教授に、1889年に30歳で教授になる。 このミシガン時代にはヘーゲルおよびドイツ観念論を主に研究していたが、1891年に留学先のドイツから帰国し同大学講師になったジョージ・ハーバート・ミードと交友関係をむすび、ヘーゲルの影響圏から抜け出す。ミードはウィリアム・ジェイムズの教え子であり、デューイはジェイムズにも影響を受けるようになる。
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