バーモ守備隊の孤立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
ナンカンの北西に位置し、ミイトキーナから南下する米支軍を正面から防ぐ地点となるバーモには、先述の通り捜索第2連隊を基幹とするバーモ守備隊が置かれていた。守備隊の編成は、捜索第2連隊(約350名)、歩兵第16連隊第2大隊(約600名)、野砲兵第2連隊の1中隊(約100名)、山砲兵第18連隊の1小隊(約50名)、工兵第2連隊の1小隊(約50名)、軍通信隊の1分隊(10名)、第2師団野戦病院1班(約40名)、合計約1,180名であり、守備隊長は捜索第2連隊長の原好三大佐だった。 ミイトキーナ陥落後、同方面の中国新編軍は部隊の再編に日数を費やしていたが、その後ようやく前進を開始した。そして11月9日、バーモ北東のミョチットに対して攻撃を行い、同地に進出していた捜索連隊主力は、バーモ北東の森林内で新編軍と混戦状態に陥った。新編軍は捜索連隊に追尾してバーモに近接し、15日からバーモ南東側の陣地に攻撃を開始した。守備隊は前進陣地を逐次放棄しつつ抗戦したが、12月初め頃から敵の砲爆撃は激しさを増し、市街地は次々に奪取された。12月10日頃には新編軍は全正面にわたって至近距離に近接するに至り、糧食も欠乏し、バーモ守備隊は危機的な状況に陥った。
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