バーモ守備隊の敵中突破成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:35 UTC 版)
「断作戦」の記事における「バーモ守備隊の敵中突破成功」の解説
一方、バーモ守備隊長の原大佐は、山崎支隊の攻勢に呼応し、12月14日夜からバーモ脱出を開始した。バーモの敵の包囲網は非常に厚く、どの方面に向かっても数段の陣地を突破しなければならなかった。守備隊は脱出途中で敵の攻撃を受け、一時は危機に瀕したが、死中に活を求めた突撃により敵が退却し、奇跡的に突破口を開くことができた。19日から21日にかけて、原大佐以下のバーモ守備隊約900名は逐次ナンカンに到着した。突破直前の守備隊兵力は約930名であり、突破間の損害は約30名だった。なお、バーモ防衛戦における守備隊の総損害は戦死約280名、戦傷病約300名だった。 バーモ守備隊救援のためナミュ付近で激戦中の山崎支隊は、支隊の苦戦はバーモ守備隊に対する圧力の軽減につながると信じ、あくまで敢闘を続けた。16日朝、バーモ守備隊からの電報により脱出成功を知った支隊は、逐次戦線を整理し、敵と離脱してナンカンに帰還した。山崎支隊の損害は戦死約150名、戦傷約300名だった。本多軍司令官は、山崎、原両支隊に感状を授与し、12月20日夜にナンカンで行った戦死者の慰霊祭でこれを読み上げた。この12月20日をもって断第二期作戦は終了した。
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