バナナ・スプリットとは? わかりやすく解説

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バナナスプリット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 01:59 UTC 版)

バナナスプリット
マサチューセッツ州ニュートンビルのキャボット・アイス・クリーム・アンド・レストランの伝統的なバナナ・スプリット
フルコース デザート
発祥地 アメリカ合衆国
地域 ペンシルベニア州レイトローブ
提供時温度 冷たい
主な材料 バニラチョコレートストロベリーアイスクリーム
バナナ
パイナップル、ストロベリートッピング
チョコレートシロップ
ナッツ
ホイップクリーム
砂糖漬けのチェリー
派生料理 多彩
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バナナスプリット英語: banana split)は、アメリカ合衆国の伝統的なアイスクリームデザートである。名前の由来は、バナナを縦半分にカットしてボート型の長皿に置いてアイスクリームを添えたときの見た目からである。多くのバリエーションがあるが、オーソドックスなものはバニラストロベリーチョコレートの3つの味のアイスクリームをカットしたバナナの間に挟み、上からチョコレートストロベリーパイナップルなどのソースをかけ、ピーナッツクルミなどの刻んだナッツとホイップクリーム砂糖漬けのチェリーを乗せたものである[1][2][3]

歴史

1904年、ペンシルベニア州レイトローブのLigonier Street 805番地にあった薬局Tassel Pharmacyで見習い薬剤師だった23歳のデイビット・イバンズ・ストリッカーは、店内のドリンク売場(ソーダ・ファウンテン)用にバナナをベースとした三段アイスクリームのサンデーを発明した[4]。そのサンデーを他のアイスクリームの2倍の値段である10セントで売り出したところ、近くにあったセントビンセント大学の学生の目に留まった。このサンデーは口コミや広告によって瞬く間に広がり、レイトローブを越え近隣の町まで広がった[5]。1907年に出版されて一般化したレシピは、バナナを縦に分割し、両端に1スクープずつのアイスクリーム、間にスプーン大のホイップクリーム、その上に砂糖漬けのチェリー、片端には刻んだナッツ、逆の端には刻んだミックスフルーツを載せたものだった[6]

ストリッカーは働いていた薬局を買収し、Strickler's Pharmacyと名づけ最上階に自分のオフィスを置いた[7]

2004年、レイトローブ市はバナナスプリット創作100周年を迎え、国立アイスクリーム小売業協会(NICRA)が発祥の地として認定した[5]。以降、毎年「グレート・アメリカン・バナナスプリット・セレブレーション」を開催し、世界で最初に作られた地を維持している[8]

グレート・アメリカン・バナナスプリット・セレブレーションは8月下旬にレイトローブのダウンタウン全体で開催され、食べ物や多くのイベントがある。2014年11月、2年間イベントを主催していたLatrobe Community Revitalization ProgramはGreater Latrobe-Laurel Valley商工会議所にイベントの主催権を引き渡した[9]

ヒルトン・シカゴのバナナスプリット(2007年)

オハイオ州ウィルミントンも発祥の地であると主張している。1907年、レストランのオーナーだったアーネスト・ハザードは売り上げの落ちる冬期にもウィルミントン大学の学生を客として呼び込みたいと考えた。ハザードは新しいアイスクリームのデザートを考えるため、従業員でコンテストを行った。従業員のアイディアが使い物にならなかったので、ハザードは自分でバナナを縦に分け、細長い皿に入れてデザートを作ったという。ウィルミントンは毎年6月に「バナナ・スピリット・フェスティバル」を開催している[10]

ウォルグリーンはバナナスプリットを広めたといわれている。チャールズ・ルドルフ・ウォルグリーンがシカゴ圏で運営していた初期のドラッグストアは、バナナスプリットを看板デザートとして採用した。同チェーンのソーダ・ファウンテンの人気は高まり、これがなければ近隣のドラッグストアで調剤をしてもらって満足していたであろうお客を呼び込むことができた。

バナナスプリットパイ

バナナスプリットパイは、ネブラスカ州ホールドレッジに住んでいた16歳の少女であるジャネット・ウィンクエストによって作成された。1952年に、バナナスプリットパイの製法でピルズ・バリーの「グランド・ナショナル・レシピ&ベイキング・コンテスト」で3,000$の賞金を得た[10][11]

脚注

  1. ^ Traditional Banana Split Recipe”. Food.com. 2017年5月5日閲覧。
  2. ^ Baggett, Nancy (2007年6月6日). “Late, But Great, Banana Split Centenary”. 2017年10月21日閲覧。
  3. ^ All-American Banana Split Recipe”. Taste of Home. 2017年5月5日閲覧。
  4. ^ Turback, Michael (March 2004). The Banana Split Book. Camino Books. ISBN 094015983X
  5. ^ a b Steele, Bruce (August 25, 2004). "With a Cherry on Top-Pitt fetes alums creation of banana split". ピッツバーグ大学 Retrieved on September 3, 2007.
  6. ^ Merck's Report: A Practical Journal of Pharmacy as a Profession and a Business. Ed. by Theodore Weicker. Volume 16, June 1907, p. 164.
  7. ^ Smith, Rachel (June 22, 2006). "Latrobe's banana split a sweet 'Taste of America'". Pittsburgh Tribune-Review. Retrieved on September 3, 2007.
  8. ^ Federoff, Stacey (2013年8月20日). “Latrobe to go bananas over split”. TribLive. Trib Total Media. 2013年8月20日閲覧。
  9. ^ GLLV (2014年11月25日). “GLLV Chamber to take the reins on Great American Banana Split Celebration”. GLLV. Greater Latrobe-Laurel Valley Chamber of Commerce. 2017年10月21日閲覧。
  10. ^ a b The National Rural Letter Carrier; National Rural Letter Carriers' Association, 1952; Volume 51, p.257.
  11. ^ Farm Journal; Farm Journal Incorporated, 1953; Volume 77, Issue 11, p.138.

外部リンク


バナナ・スプリッツ

(バナナ・スプリット から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/13 05:13 UTC 版)

バナナ・スプリッツThe Banana Splits)は、アメリカバラエティ番組。制作は、ハンナ・バーベラ・プロダクション

バナナスプリッツの日本語版タイトルロゴ

概要

アメリカでは、1968年9月7日NBCでの放送が始まり、1970年9月5日をもって終了した。

このショーでは、アニメパート、歌パート、着ぐるみによる実写パートなどで構成されていた。

日本では、東京12チャンネル⇒テレビ東京で『マンガ大冒険!ドタバタ30分』のタイトルで1970年12月1日から1971年6月29日[1]まで(全31話[2])放送された(放送時間は火曜19時00分 - 19時30分[3])。

アメリカでは45分~48分の尺があり、日本では30分の尺で放送した。

登場人物

バナナスプリッツ[4]
  • フリーグル(Fleegle):日本名 ワンチョ
    演 - ジェフ・ウィンクレス、声 - ポール・ウィンチェル(下記の「日本語版声優」にはないが、吹替えは鈴木ヤスシ
    赤い蝶ネクタイをしている
    ギター、ボーカル担当[4]
  • ビンゴ(Bingo):日本名 デッパッパ
    演 - テレンス・H・ウィンクレス、声 - ドーズ・バトラー
    ウェストコートを着たゴリラ
    ドラム、ボーカル担当[4]
  • ドルーパー(Drooper):日本名 オモナーガ
    演 - アンネ・W・ウィスロー、声 - アリアン・メルヴィン
    眼鏡のライオン
    ベース、ボーカル担当[4]
  • スノーキー(Snorky):日本名 ムックムク
    演 - ジェームズ・ダヴとロバート・タワー、声 - ドン・メシック(下記の「日本語版声優」にはないが、吹替えは小原乃梨子
    眼鏡のゾウ
    キーボード、エフェクト担当[4]
その他
  • バナナ・バック(The Banana Vac)
    声 - アリアン・メルビン
  • クック・クロック(Cuckoo Clock)
    声 - ポール・ウィンチェル
  • グーフィー・ゴーファー(Goofy Gopher)
    声 - ポール・ウィンチェル
  • サワー・グレープ・パンチ(The Sour Grapes Bunch)
  • ディリー・シスターズ(The Dilly Sisters)

日本語版声優

日本語版スタッフ

主題歌

The Tra La La Song (One Banana, Two Banana)
日本語版主題歌は、同じメロディーに日本語歌詞を付けたもの。主役4人の吹替え俳優が歌っていた。

映像ソフト化

日本での発売予定は無いが、このDVDは日本でも再生できる。

  • The Banana Splits - Complete Season 1 [DVD] (リージョン2)

映画

The Banana Splits in Hocus Pocus Park

アメリカで1972年11月25日にABCで放送されたテレビ映画。日本では未上陸。

バナナ・スプリッツ・ホラー

アメリカでは、『ザ・バナナ・スプリッツ・ムービー(The Banana Spirits Movie)』という題で2019年7月18日に公開。日本では『バナナ・スプリッツ・ホラー(Banana Spirits Horror)』として2023年8月9日よりDVDレンタルおよびデジタル配信が開始される。

脚注

  1. ^ 日本経済新聞 縮刷版日本経済新聞社、1970年6月29日付のラジオ・テレビ欄。 
  2. ^ 32話以降の脚本も現存している、放送日が書かれていないのもある。http://animedb.nkac.or.jp/search.htm?syn=on&key=%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AC%E5%A4%A7%E5%86%92%E9%99%BA&group=on&_ps=30&sort=match
  3. ^ ただし1971年4月以降、プロ野球中継(主にパ・リーグのナイター)が18:45 - 20:00に編成された際には、18:45の『マンガのくに』と19:30の『怪鳥人間バットマン』と共に休止される事があった。
  4. ^ a b c d e Woolery, George W. (1983). Children's Television: The First Thirty-Five Years, 1946-1981. Scarecrow Press. pp. 31–34. ISBN 0-8108-1557-5. https://archive.org/details/childrenstelevis0000wool 14 March 2020閲覧。 
  5. ^ http://animedb.nkac.or.jp/detail.htm?id=D01-01283-00
東京12チャンネル 火曜19:00 - 19:30枠
前番組 番組名 次番組
マンガ大冒険!ドタバタ30分
怪鳥人間バットマン
【30分繰り上げて継続】



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