ニューヨーク留学・結婚後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 10:00 UTC 版)
「太田裕美」の記事における「ニューヨーク留学・結婚後」の解説
1982年に音楽活動を一時休業し、8か月間アメリカ・ニューヨークに単身留学。「八番街西五十一丁目より」で第4回ニッポン放送青春文芸賞優秀賞を受賞した。帰国後に留学中の経験を綴った著書『ニューヨークなんて怖くない』を執筆した。また帰国後はディレクターがデビュー時からの白川隆三から、後に夫となる福岡智彦に替わり、1983年以降はテクノポップ調の曲をリリースするようになった。このニュー・ウェイヴ路線は、大村雅朗、「4人目のYMO」といわれた松武秀樹、山元みき子名義で作詞家活動を開始したばかりの銀色夏生、BaNaNa、板倉文、ホッピー神山、岡野ハジメ、杉林恭雄などがサポートしていた。 1984年1月20日の29歳の誕生日に、ディレクター兼プロデューサーの福岡智彦との交際を明らかにする。同年8月28日に婚約発表。翌1985年1月26日、福岡智彦と結婚。結婚式の仲人は愛川欽也・うつみ宮土理夫妻が務めた。1980年代後半からは福岡智彦がデビューさせた遊佐未森らへの楽曲提供も行うようになった。 活動休止中にも、弦楽四重奏グループ・クロノス・カルテットが1988年1月に発表したアルバム『冬は厳しく〜弦楽四重奏曲の諸相II』に朗読で参加している。 1996年より音楽活動を再開し、同年4月2日よりライブ活動を開始。1998年にはミニアルバム『魂のピリオド』をリリースし、松本隆・筒美京平コンビの楽曲を20年ぶりに歌った。 2004年、親交があるミュージシャンAYUOとのコラボレーション・アルバム『RED MOON』を制作、ジョン・ゾーンが主催するニューヨークのレーベル「ツァディク (TZADIK RECORDS)」からリリース。このアルバムは同年1月20日、太田の50歳の誕生日に発表された。 また2004年からは、太田、元かぐや姫の伊勢正三、元ガロの大野真澄の3人で音楽ユニット「なごみーず」を組み『アコースティック・ナイト』コンサートを開催している。 1984年の『TAMATEBAKO』以来、実に22年ぶりとなるオリジナル・フルアルバム『始まりは“まごころ”だった。』を2006年にリリース。その間も様々なベスト・アルバムの発売は相次いだため「ベスト盤の女王」と自称した。 2010年5月16日、松本隆の作詞家生活40年記念コンサートに出演。その際に「今の太田裕美があるのは松本隆のおかげ、今の松本隆があるのは太田裕美のおかげ」と冗談めかして発言した。 2016年8月1日、マネージャーの勇退により所属事務所「ボイスアンドリズム」を離脱。 2019年9月18日、乳がんの治療中であることを公表した。
※この「ニューヨーク留学・結婚後」の解説は、「太田裕美」の解説の一部です。
「ニューヨーク留学・結婚後」を含む「太田裕美」の記事については、「太田裕美」の概要を参照ください。
- ニューヨーク留学・結婚後のページへのリンク