ナント歴史地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:01 UTC 版)
ナントは様々な戦争によって中心部を破壊された一部の大都市とは対照的に、あらゆる時代の歴史的街区を保持できたという美点を有している。 ナントの様々な歴史地区には数多くの記念物が残る。城壁の内側、ブルターニュ大公城と大聖堂に近接したドクレ地区とル・ブーフェ地区の中世の町並みは15世紀のものである。ハーフティンバー様式の住宅や二階を張り出した家屋、あるいは18世紀に石造りで再建された建物などが中世の町割に立ち並んでいる。 建築家ジャン=バティスト・セヌレとマチュラン・クリュシーの手による18世紀の街区は都市の中心を成している。ここには多くの広場があり、ブラッスリー・ラ・シガールとグラスラン劇場のあるグラスラン広場、壮麗な噴水・舗装・ファサード・照明などに全面的な修復が行われたロワイヤル広場、中心部で最も活気のあるコメルス広場(フランス語版)、ルイ16世の円柱があるフォック元帥広場などが特筆される。これらの広場は、カンブロンヌ広場またはサン=ピエール=エ=サンタンドレ広場のような見通しのよい空間によって相互に繋がっている。これらの地区には、県庁舎(元ブルターニュ会計局庁舎)、パレ・ド・ブルス(旧証券取引所、現在は観光局やフナックが入っている)、そしてパリのサン=ルイ島のように全体が一体の街区となっているケルヴェガン通りのフェドー島(イル・フェドー)などが含まれる。船員の住宅が並ぶフォッス埠頭とそこへ至る通りは、21世紀に再興されたナント港の往時を物語る証人である。 20世紀から現在までにできた地区は、非常に美しい螺旋塔をもつ職人・芸術家組合(フランス語版)の建物が駅南部にあり、他にブルターニュ塔(フランス語版)、Immeuble CGA(フランス語版)、Blockhaus DY10(フランス語版)が特筆される。 ロワール川北の埋め立てと、1929年から運河に変えられたエルドル川(大戦中の犠牲者を追悼する50人の人質広場(フランス語版)がある)は、旧市街の性格に大きな変化を与えた。ブルターニュ大公城、コメルス広場、フェドー島のファサード、現在では水際から離れているフォッス埠頭などは元来水辺にあったものである。フォッス埠頭の一部を復元する計画が検討されている。
※この「ナント歴史地区」の解説は、「ナント」の解説の一部です。
「ナント歴史地区」を含む「ナント」の記事については、「ナント」の概要を参照ください。
- ナント歴史地区のページへのリンク