ナント包囲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/15 04:05 UTC 版)
フランス軍先鋒と交戦状態に入ったジャン・ド・モンフォールだったが、衆寡敵せずナントへ敗走した。フランス軍の騎兵がこれを追跡し、モンフォール派や傭兵の多くがシャントソー周辺で討ち取られた。ジャン・ド・モンフォールがナントにようやく到着すると、シャントソーでの敗戦をいち早く知ったナント住民からは「1カ月以内に援軍が到着しない場合は、降伏すると約束しなければ協力しない」という条件を突きつけられた。その後数日間にわたってモンフォール軍は城を囲むフランス軍に切り込んでいったが、これに対してフランス軍はモンフォール派が籠もる支城に猛攻をしかけ、捕らえた守備兵を城壁から見える場所に引き出して処刑した。城内に恐怖と芽生え、ジャン・ド・モンフォールが敵陣へ攻撃を仕掛けようにもついてくる兵がいないほどになった。10月末には、モンフォール側の傭兵部隊が戦闘中にナント市民からなる部隊を見捨てて退却したため全滅し、斬首された戦死者の首が投石機で城内に投げ入れられた。11月2日、怒り心頭に発した住民らによってジャン・ド・モンフォールは降伏させられ、パリのルーヴル城に幽閉された。
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