ドンヴィル天文台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 14:45 UTC 版)
「ルシアン・ルドー」の記事における「ドンヴィル天文台」の解説
フランス天文学会で精力的に活動し、天体観測の詳細な記録も付け始めたルドーは、自らの天文台を建設することを決心。観測に適した立地として、父にドンヴィルの実家の庭の一角を使用する許可を得て、1894年に私設「ドンヴィル天文台 (Observatoire de Donville)」を建設した。 最初は、八角形の木造小屋にスクレタン(英語版)の口径95 mm屈折望遠鏡と、副望遠鏡として口径75 mm屈折望遠鏡を据えたものだった。ここでルドーは、月、惑星、木星や土星の衛星などの観測を精力的に行った。また、絵画や望遠鏡の扱いだけでなく、写真にも熱中していたルドーは、太陽や木星の衛星などの写真撮影にも取り組み、天の川の写真星図まで作っていた。太陽フレアを白色光で観測した、最も初期の人間の一人ともいわれる。1904年のブルックス彗星 (Comet 1904 a, C/1904 H1) では、ウィリアム・ブルックスの発見以前に撮影した写真で彗星を捉えたことを報告しており、独立発見者の一人ともみなされる。 ルドーはその後、1903年、1928年と2度にわたって天文台を更新しており、望遠鏡はスクレタンの口径135 mm屈折望遠鏡、更に口径180 mm屈折望遠鏡へと大型化、また、太陽専用の観測設備や、気温・降水量・風向を測定し雲の観測を行う気象観測点、仕事場や寝室まで加え、施設を拡充していった。第二次世界大戦の際には設備が深刻な被害を受けたが、ルドーは亡くなるまでドンヴィル天文台での観測を続けた。ルドーの死後は、天文台は廃止され、望遠鏡の鏡筒はモロッコのラバトへと渡り、赤道儀はド・ヴォークルールによってオーストラリアの天文台へ送られている。
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