デラウェア・アンド・ハドソン会社
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「デラウェア・アンド・ハドソン鉄道」の記事における「デラウェア・アンド・ハドソン会社」の解説
鉄道が普及してくるにつれて、運河会社は運河を鉄道に置きかえる重要性を認識した。この最初の一歩は、1864年に認可され、エリー鉄道に1869年に借り受けられて1872年に開業した、カーボンデールから北へニューヨーク州へ通じるジェファーソン鉄道(Jefferson Railroad)であった。これはレーンズボロ(Lanesboro)で本線から南へ分岐してカーボンデールまでの支線であった。この路線の一部として、デラウェア・アンド・ハドソン運河会社のホーンズデールの重力式鉄道の反対側からの延長路線が、南東へホーリー(Hawley)にあるエリー鉄道のペンシルベニア石炭会社(Pennsylvania Coal Company)の鉄道まで建設された。ジェファーソン鉄道(とそれを通じてエリー鉄道)はデラウェア・アンド・ハドソン運河会社の2区間について運行権を獲得し、デラウェア・アンド・ハドソン運河会社はレーンズボロまでの運行権を獲得した。 本線の他の区間は、デラウェア・アンド・ハドソン運河会社が1870年2月24日に借り受けたオールバニ・アンド・サスケハナ鉄道(Albany and Susquehanna Railroad)と、1867年に認可され1872年に開業したこれに接続するラカワナ・アンド・サスケハナ鉄道(Lackawanna and Susquehanna Railroad)である。オールバニ・アンド・サスケハナ鉄道は、ニューヨーク州オールバニから南西へ同州ビンガムトンへの路線であり、一方、ラカワナ・アンド・サスケハナ鉄道はその路線からニューヨーク州ニネベ(Nineveh)で分岐し、南へジェファーソン鉄道のレーンズボロまでの路線であった。やはり1870年に借り受けた、スケネクタディ・アンド・デュアネスバーグ鉄道(Schenectady and Duanesburg Railroad)は、オールバニ・アンド・サスケハナ鉄道とニューヨーク州デュアネスバーグ(Duanesburg)で接続し、同州スケネクタディまでを結び、1872年に開業した。1873年まではスケネクタディ・アンド・サスケハナ鉄道(Schenectady and Susquehanna Railroad)という名前であった。 1870年、バレー鉄道(Valley Railroad)が開業し、スクラントンとカーボンデールの間で重力式ではない鉄道が開設された。 1871年3月1日、デラウェア・アンド・ハドソン運河会社はレンセリア・アンド・サラトガ鉄道(Rensselaer and Saratoga Railroad)を、同社が既に借り受けていた路線を含めて借り受け、この路線によりオールバニからスケネクタディを通り北へニューヨーク州サラトガ・スプリングズまでの路線網を拡張し、さらに北東へバーモント州ルトランド(Rutland)へ伸ばし、またニューヨーク州イーグル・ブリッジ(Eagle Bridge)の西のトロイ・アンド・ボストン鉄道(Troy and Boston Railroad)の線路使用権を得てルトランドへの東側の経路なども手にした。デラウェア・アンド・ハドソン会社はまた、トロイ・ユニオン鉄道(Troy Union Railroad)の4分の1の株式をこの賃貸契約によって取得した。 1873年3月1日、デラウェア・アンド・ハドソン運河会社は、かつてルトランド鉄道(Rutland Railroad)が所有していた、ホワイトホール・アンド・プラッツバーグ鉄道(Whitehall and Plattsburgh Railroad)とモントリオール・アンド・プラッツバーグ鉄道(Montreal and Plattsburg Railroad)が合併して誕生したニューヨーク・アンド・カナダ鉄道(New York and Canada Railroad)を取得した。これによりニューヨーク州ホワイトホール(Whitehall)から北へケベック州との州境までの鉄道を1875年に完成させ、ラウゼズ・ポイント(Rouses Point)までの支線を1876年に開通させた。これら2本の路線の末端からグランド・トランク鉄道(Grand Trunk Railway)の路線が北へモントリオールまでを結んでいた。 デラウェア・アンド・ハドソン運河会社はリーハイ・アンド・サスケハナ鉄道(Lehigh and Susquehanna Railroad)の線路使用権を1886年に取得し、本線をスクラントンから南西へペンシルベニア州ウィルクスバレ(Wilkes-Barre)へ伸ばした。 1889年7月11日、デラウェア・アンド・ハドソン運河会社は、サラトガ・スプリングズから北へハドソン川に沿って走る長い支線、アディロンダック鉄道(Adirondack Railroad)を買収した。 運河は1891年11月5日限りで使用を終了し、重力式鉄道も1899年1月3日に廃止された。1899年4月28日、同年6月に運河が売却されることを反映して会社の名前がデラウェア・アンド・ハドソン会社(Delaware and Hudson Company)へ変更された。ポート・ジャクソンとエレンビルの間の運河使用権は、ニューヨーク・オンタリオ・アンド・ウェスタン鉄道(New York, Ontario and Western Railway)の支線である、1901年に認可され1902年に開通した、エレンビル・アンド・キングストン鉄道(Ellenville and Kingston Railroad)によって使用されていた。 1903年、デラウェア・アンド・ハドソン会社は、シャトーゲー・レールロード(Chateaugay Railroad)、シャトーゲー・レールウェイ(Chateaugay Railway)、サラナク・アンド・レークプラシッド鉄道(Saranac and Lake Placid Railway)を連合させてシャトーゲー・アンド・レークプラシッド鉄道(Chateaugay and Lake Placid Railway)を設立した。シャトーゲー・レールロードが借り受けていたプラッツバーグ・アンド・ダニモラ鉄道(Plattsburgh and Dannemora Railroad)と合わせて、ニューヨーク州プラッツバーグ(Plattsburgh)の西からレークプラシッドの南へと長い支線を形成した。 1906年、デラウェア・アンド・ハドソン会社はケベック・サザン鉄道(Quebec Southern Railway)とサウス・ショア鉄道(South Shore Railway)を買収し、これらの会社をケベック・モントリオール・アンド・サザン鉄道(Quebec, Montreal and Southern Railway)へ合併させた。この路線はモントリオール郊外のサン・ランベール(Saint-Lambert)から北東へほとんどケベックまで到達する、フォーテリアビル(Fortierville)までのものであった。この路線は1929年にカナディアン・ナショナル鉄道へ売却された。 デラウェア・アンド・ハドソン会社は1906年にネイピアビル・ジャンクション鉄道(Napierville Junction Railway)を合併し、ラウゼズ・ポイントからセント・コンスタントジャンクション(St. Constant Junction)まで路線を伸ばし、そこからグランド・トランク鉄道の線路使用権をモントリオールまで獲得した。この路線は1907年に開通し、ニューヨークとモントリオールを結ぶ最短ルートを形成した。 1912年、デラウェア・アンド・ハドソン会社はウィルクスバレ・コネクティング鉄道(Wilkes-Barre Connecting Railroad)を合併し、スクラントンとウィルクスバレを結ぶより直線的な路線を1915年に開通させた。 1930年4月1日、デラウェア・アンド・ハドソン会社の資産は、1928年12月1日に設立されたデラウェア・アンド・ハドソン鉄道(Delaware and Hudson Railroad)へ移管された。 1938年からデラウェア・アンド・ハドソン鉄道は、膨大な量の貨物を接続鉄道会社の間で橋渡しをする業務を開始した。
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