テイチクへ移籍とは? わかりやすく解説

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テイチクへ移籍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 04:33 UTC 版)

藤山一郎」の記事における「テイチクへ移籍」の解説

ビクターとの契約期間3年満了迎えたビクター藤山との再契約望んだが、当時コロムビアからテイチク移籍していた古賀政男テイチクへの移籍促した藤山テイチクブランドイメージ創業者楠木正成傾倒し、正成の銅像をレーベルマークにしたり正成にちなん芸名歌手につけたりしていた)に抵抗感じたものの、生家経済的事情もあり、最終的に古賀と再びコンビを組むことへの魅力勝った念のためビクターとの契約期間満了から1か月置いてテイチクへ移籍した。同時期の内閣総理大臣月給800円という時代において、契約金1万円というものであった1936年昭和11年)、古賀作曲した東京ラプソディ』が販売枚数35万枚ヒットとなった。これにより藤山B面の『東京娘』とあわせて2万1000円歌唱印税を手にし、学生時代から抱えていた生家借金完済することができた。PCLによって『東京ラプソディ』を主題歌にした同じタイトル映画制作され藤山主演した。『東京ラプソディ』と同じく古賀作曲し1936年発売された『男の純情』、翌年の『青い背広で』『青春日記』もヒットした藤山はこの時期歌った曲の中から印象に残るものとして、『東京ラプソディとともに夜明けの唄』(大阪中央放送局1936年企画した有名な詩人の作品に曲をつける企画国民歌謡国民合唱呼ばれた)を挙げている。 1937年昭和12年)に盧溝橋事件起こったのをきっかけ国民精神総動員打ち出した政府は、音楽業界対し戦意高揚させる曲の発売奨励しユーモア恋愛感傷テーマとした歌の発売禁止する指示出したテイチクこの方針に従い藤山も『忠烈!大和魂』・『国家総動員』・『雪の進軍』・『駆け荒鷲』・『最後血戦』・『歩兵の本領』・『愛国行進曲』・『山内中尉の母』といった戦意高揚のための曲を吹き込むようになったテイチク時代藤山一郎人気は凄まじく、ポリドール東海林太郎並んで「団菊時代」を形成したテイチク時代藤山バリトン声楽家というよりはテナー歌手としての流行歌重点置かれている。これについて当時新聞記者だった音楽評論家の上山敬三は、「愛の古巣帰ろう 男の純情などいう流行歌なんかやめちまえ、声がもったいない、クラシックに帰れ」と提言した

※この「テイチクへ移籍」の解説は、「藤山一郎」の解説の一部です。
「テイチクへ移籍」を含む「藤山一郎」の記事については、「藤山一郎」の概要を参照ください。

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