チーム創設から1980-1981シーズンまでとは? わかりやすく解説

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チーム創設から1980-1981シーズンまで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/04 22:52 UTC 版)

バッファロー・セイバーズ」の記事における「チーム創設から1980-1981シーズンまで」の解説

バッファロー・セイバーズ1970年NHL加盟した。その前身は、AHLバッファロー・バイソンズ (Buffalo Bisons) であり、バイソンズは同リーグ数年の間強豪チームとして成功収めていた。チーム発足は順調で、オフシーズンNHLドラフトでも全指名順位中第1位で後の殿堂入り選手センター、ジルベール・ペロー (Gilbert Perreault) を獲得したペローこの年新人ながら38ゴール34アシスト挙げてカルダー記念賞最優秀新人賞)を受賞したが、チーム243915分でイースタンディビジョン5位であった。 1971-1972シーズンには、リック・マーティンをドラフト獲得シーズン終盤には、ピッツバーグ・ペンギンズからトレードでルネ・ロベールを獲得ペローマルタンロベールフランス系カナダ人選手組んだフォワードラインは、ファンから同名の映画にちなみ「フレンチ・コネクション」(The French Connection) と名付けられた。チーム164319分でイースタンディビジョン6位であった詳細は「en:The French Connection (ice hockey)」を参照 1972-1973シーズンには、ドラフトディフェンスマンのジム・ショーンフェルド(Jim Schonfeld)を獲得、また大ベテランティム・ホートンTim Horton)が加入してリーダーシップ発揮したチーム372714分で創立から3シーズン目にして初のプレーオフ進出果たしたが、準々決勝で、この年スタンレー・カップ優勝モントリオール・カナディアンズに2勝4敗で敗れた。 1973-1974シーズンペローが足の故障で8週間欠場ゴーリーのロジャー・クロージャー(Roger Crozier)も膵炎シーズン途中離脱した。さらに2月20日トロント・メープルリーフス戦を終えてトロントからバッファロー帰宅途中ホートンセイバーズ契約した際にボーナスとして受け取ったデ・トマソ・パンテーラ事故起こして亡くなったホートンは、飲酒運転加えて鎮痛剤利用していた。チーム主力選手欠場する中、プレーオフ逃したものの323412分で5位となった。 1974-1975のレギュラーシーズンフレンチコネクションそれぞれトップ10に入る得点をあげて、チーム全体では354得点をあげた。チーム491615分新設されたアダムズ・ディビジョンで1位となったプレーオフではシカゴ・ブラックホークスを4勝1敗、カナディアンズを4勝2敗で破りスタンレー・カップファイナル進出したフィラデルフィア・フライヤーズとのシリーズでは、アウェイ連敗した後、華氏90度の高温の中で行われたホームでの第3戦(濃霧の中で行われたため、後に「試合」(Fog Game) と呼ばれるようになった。)で延長の末、初勝利をあげた。第4戦も勝利し、2勝2敗としたものの、スター・ゴーリーのバーニー・ペアレント (Bernie Parent) を擁するフライヤーズ前に2勝4敗で敗れた。 1975-1976シーズンには、462113分でディビジョン2となったペロー113ポイントをあげるなど、フレンチコネクションの3人はいずれ86ポイント以上を獲得した1月4日行われたソ連のクリリヤ・ソビエトフとのエキシビションゲーム(スーパシリーズ)では、他の3チームがソビエトフに敗れる中、唯一NHLチーム勝利をあげた。プレーオフでは、セントルイス・ブルースを3勝2敗で破った後、準々決勝ニューヨーク・アイランダーズ対戦、2連勝の後、4連敗して敗れたこの年加入したダニー・ゲア(Danny Gare)が50ゴール挙げた。 1976-1977シーズン4824敗8分でディビジョン2となったプレーオフ1回戦では、ミネソタ・ノーススターズ一蹴したが、2回戦ニューヨーク・アイランダーズに4連敗してシーズン終えた。 1977-1978シーズン441917分でディビジョン2となったプレーオフでは1回戦ニューヨーク・レンジャース破った後、フライヤーズに1勝4敗で敗れた。 1978-1979シーズンシーズン途中ゼネラルマネージャーヘッドコーチ解任されたが、暫定ヘッドコーチ就任から7連勝し362816分でディビジョン2となったプレーオフでは1回戦ペンギンズ敗れた。 1979-1980シーズン、前シーズンまでモントリオール・カナディアンズ率いて4年連続スタンレー・カップファイナル制覇していたスコッティ・ボウマンがヘッドコーチゼネラルマネージャー就任したロベールコロラド・ロッキーズ(後のニュージャージー・デビルス)にトレードされた。チーム471716分でアダムズ・ディビジョンで1位となり、プレーオフではバンクーバー・カナックスを3勝1敗、ブラックホークスを4連勝破り準決勝進んだが、ニューヨーク・アイランダーズに2勝4敗で敗れた。 1980-1981シーズンボウマンGMに専念することとなり、ロジャー・ニールソン(Roger Nielson)がヘッドコーチ就任チームペロー22試合欠場する中、392021分で2年連続ディビジョン1となった1981年3月11日マルタンロサンゼルス・キングストレード放出された。プレーオフではカナックスに3連勝した後、ノーススターズに1勝4敗で敗れた

※この「チーム創設から1980-1981シーズンまで」の解説は、「バッファロー・セイバーズ」の解説の一部です。
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