チーム創設から1979年まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 23:08 UTC 版)
「ロサンゼルス・チャージャーズ」の記事における「チーム創設から1979年まで」の解説
1959年にNFLに対抗して結成されたAFLのオリジナルメンバーとしてロサンゼルス・チャージャーズは誕生した。オーナーはヒルトンホテルの創始者、コンラッド・ヒルトンの息子のバロン・ヒルトン。チーム名は、設立時のゼネラルマネジャーのフランク・リーヒーが、ドジャー・スタジアムと南カリフォルニア大学(USC)の試合でファンが「チャージ」と叫び、軍隊ラッパを吹いている光景が好きだったことから命名された。 1961年にサンディエゴの新聞社の編集長だったジャック・マーフィーがチームを誘致し、チームはサンディエゴに移転し、サンディエゴ・チャージャーズとなった。チャージャーズ最初のスター選手はWRのランス・アルワースで11年間のキャリアで彼は543回のパスレシーブで10266ヤードを稼いだ。またプロフットボール記録となる96試合連続パスキャッチの記録も残した。AFL時代の10年間は当時パスオフェンスの権威であったシド・ギルマンがヘッドコーチであり、アルワース、ポール・ロウ、キース・リンカーン、ジョン・ヘイドルらによる強力なオフェンスで地区優勝6回、1963年にはボストン・ペイトリオッツを51-10で破りAFLチャンピオンになった。ディフェンスも優れており1961年には49インターセプトを記録すると共に新人DEのアール・フェイソンはAFL最優秀新人選手に選ばれた。ディフェンスラインのフェイソン、アーニー・ラッド(後にプロレスラー)らはフィアサム・フォーサムと呼ばれるようになった最初のユニットとなった。 1966年にヒルトンオーナーはユージン・クラインやサム・シュルマンに率いられたオーナーグループにチームを売却した。1969年9月29日に行われた第3回スーパーボウルチャンピオンになったニューヨーク・ジェッツ戦ではサンディエゴ・スタジアムに54,042人が詰めかけた。1969年シーズン終了後、健康を理由にギルマンヘッドコーチは退任しゼネラルマネージャーに就任、アシスタントコーチだったチャーリー・ウォーラーが後任のヘッドコーチに就任した。AFLでの10年間中5回プレーオフに進出しAFLチャンピオンシップゲームに4回出場を果たした。 1970年、AFLとNFLが統合されるとチームはAFC西地区に所属することとなったが1960年代の栄光を支えた選手の多くは引退したり、移籍してチームは低迷した。ディーコン・ジョーンズ、ジョニー・ユナイタスなどの獲得もあったが、彼らは全盛期を過ぎており、活躍はできなかった。
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