スポーツ会場としてとは? わかりやすく解説

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スポーツ会場として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/11 20:53 UTC 版)

グランド・オリンピック・オーディトリアム」の記事における「スポーツ会場として」の解説

施設1924年、ロサンゼルス・ダウンタウンのグランド・アベニュー一角竣工1932年のロス・アンジェルスオリンピックではボクシング及びレスリング会場として使用された。 1932年オリンピック後、カル・イートンがプロモーターとなり、グランド・オリンピック・オーディトリアム運営を行う傍ら、ボクシング・プロレスリングの興行メイン施設稼働進めたグランド・オリンピック・オーディトリアム開催されボクシング主な試合としては海老原博幸日本協栄vs アラクラン・トーレスメキシコ)戦(1964年4月30日世界フライ級指名挑戦者決定戦)、ラウル・ロハスアメリカ合衆国vs 西城正三日本協栄)戦(1968年6月6日ノンタイトル10回戦)、フリオ・セサール・チャベスメキシコvs マリオ・マルチネス(メ・Lシコ)戦(1984年9月13日世界ボクシング評議会WBC世界スーパーフェザー級王座決定戦)などがある。施設の老朽化興行形態変化などにより、ボクシング興行における使用2005年6月最後となったプロレスでは、1950年代後半から1960年代中盤にかけてカリフォルニア州本拠としていたWWAメイン会場として知られた。 1958年8月27日日本プロレス王者力道山光浩ルー・テーズ勝利してNWA認定インターナショナルヘビー級選手権奪取したのはこのグランド・オリンピック・オーディトリアムでの試合であった。 その力道山グランド・オリンピック・オーディトリアム舞台に、WWA世界ヘビー級王座巡ってフレッド・ブラッシーザ・デストロイヤーとの死闘繰り広げた1963年2月5日ジャイアント馬場ザ・デストロイヤーWWA世界ヘビー級王座賭けてグランド・オリンピック・オーディトリアムで初対決し、この時は60分時間切れ引き分け王座奪取することは出来なかった。 その後グランド・オリンピック・オーディトリアム日本プロレス界と縁が深い会場となり、アントニオ猪木ジョン・トロスを、坂口征二がキング・クローをそれぞれ下してUNヘビー級選手権奪取したり、猪木&坂口組がNWAノースアメリカンタッグ選手権獲得した試合或いはジャイアント馬場生涯唯一の金網デスマッチ戦った試合馬場&ジョン・トロスvs マサ斎藤&キンジ渋谷組)などが行われている。 1970年代後半にカル・イートンから、NWAの有力プロモーターとして知られたマイク・ラベール、ジン・ラベールプロモート引き継いだが、1980年代後半からNWA衰退WWF全米侵攻煽り受けてロサンゼルスマットも衰退余儀なくされ、グランド・オリンピック・オーディトリアムでの興行少なくなって行く。 また1964年2月には日本大相撲ロサンゼルス公演会場ともなった。また1970年代にはローラーゲームのロザンゼルス・サンダーバーズのホームリンクとしても使用された。

※この「スポーツ会場として」の解説は、「グランド・オリンピック・オーディトリアム」の解説の一部です。
「スポーツ会場として」を含む「グランド・オリンピック・オーディトリアム」の記事については、「グランド・オリンピック・オーディトリアム」の概要を参照ください。

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