スペインワインの黄金時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 23:13 UTC 版)
「リオハ・ワイン」の記事における「スペインワインの黄金時代」の解説
19世紀前半、財産の召し上げを画策するスペイン中央政府に反発してフランス・ボルドーに亡命したルシアーノ・ムリエタ(スペイン語版)(ムリエタ侯爵)とリスカル侯爵は、ボルドーのワイン製法を持ち帰り、テンプラニーリョ種を用いるリオハ・ワインの生産に応用した。ムリエタ伯爵らは木製発酵槽での発酵、225リットルの小オーク樽での熟成などの技術を導入し、醸造場やワインセラーなどを建設している。ムリエタ公爵は1852年に良質ワインのワイナリーを設立し、これがリオハにおける良質ワイン生産の礎となった。 1850年代以降にフランスでうどんこ病が、1870年代に害虫フィロキセラが蔓延すると、ボルドーの醸造家はピレネー山脈を越えてスペインにやってきた。それまでは風味に難があるバスク地方産のオークを使用していたが、フランス人醸造家はフレンチオーク樽によるボルドー製法の熟成を本格的に導入した。特にアラバ県議会が招いた醸造技術者ジャン・ピノが生産技術をリオハ中に広めてワイン生産を産業化した。当初はスペインで原酒を仕入れてフランスに送っていたが、フランス人はリオハのテロワールに魅力を感じ、大規模なワイナリーを設立して輸出用ワインを生産するフランス人が登場した。フランス人醸造家のジャン・ピノはマセレーションには大型樽を、熟成には225リットルの小型樽(バリック)を使用するボルドー方式を推奨した。 1891年には王妃マリア・クリスティーナがアロに「市」の称号を与え、1892年にはスペイン銀行が州都以外では珍しく支店を開設した。ワインの品質管理強化を目的とし、1892年にはアロにブドウ醸造学研究所が設立された。ボルドー製法はオーク樽を倉庫で長期間熟成させる手法を特色としており、オーク樽の購入や倉庫の建設などに多額の初期費用を必要としたため、新たな手法を用いることができたのは貴族出身の実業家やバスク地方の新興ブルジョアジーなどに限られた。フランスへの原酒の輸出でも多くの利益が得られたため、大多数を占める小規模生産者は革新に向けた動きには至らなかった。
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