スペインとアメリカの防衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 05:46 UTC 版)
「セントルイスの戦い」の記事における「スペインとアメリカの防衛」の解説
セントルイスの集落はミシシッピ川の主要な交易中心だったが、スペイン領ルイジアナ北部の管理拠点でもあり、スペイン軍の大尉でもあるフェルナンド・デ・レイバが副知事を務めていた。レイバは3月遅くに毛皮交易業者から、イギリス軍がセントルイスとその近くにあるアメリカ人のカホキア基地を攻撃する作戦を立てていると警告されていた。レイバは集落の防衛計画を練った。そこにはフィホ・デ・ルイジアナ植民地連隊の正規兵29名しか居らず、その他には168名の訓練されていない民兵が居るだけであり、彼等は周辺の田園部に散開して住んでいた。 レイバは防御のための総合計画を作成したが、それには4つの石塔建設も含まれていた。このための資金が無く、ニューオーリンズから資金を得る時間も無かったので、レイバは村人に要塞化するための資金と労働力の提供を依頼し、自己資金から幾らかの賃金を払った。5月半ばまでに丸い塔1基が完成した。その直径は30フィート (9 m)、高さは30ないし40フィート (9 - 12 m) あった。この塔はサンカルロス砦と呼ばれ、周辺田園部を一望にすることができた。それ以上の塔を建設する時間が無いことが明らかだったので、集落の北側と南側にある川と塔との間には塹壕が掘られた。塔の頂部には5門の大砲が据えられ、塹壕に沿っても別の大砲が置かれた。 ヘッセの部隊がロックアイランドに到着したことをヘッセが知ると、周辺にいる民兵を招集し、セントジェネビーブには援軍を要請した。5月13日までに「約150名の兵士、全て射撃名人」によって補強された。5月15日、カホキアのアメリカ人指揮官ジョン・モンゴメリーがレイバを訪問し、ヘッセの遠征部隊に対抗してスペイン・アメリカ合同軍の提案を行ったが、実を結ばなかった。5月23日、レイバのスカウトがヘッセの部隊は僅か14マイル (22 km) まで近付いており、カヌーを陸に揚げて陸路を進んでいると報告してきた。
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