スペインとアメリカ合衆国の境界紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/28 07:54 UTC 版)
「ルイジアナ中立地」の記事における「スペインとアメリカ合衆国の境界紛争」の解説
領域の正確な境界はまだ決定していなかった。フランスから領地を購入したアメリカ合衆国は、フランスがスペインに割譲する以前に主張していたのと同じ境界を主張した。実際、この時米国は、1684年にラ・サールがテキサスに作った臨時の入植地に関する記録を持ち出して、西の境界はリオグランデ川であるとまで強弁することもあったが、真の狙いは、現在はルイジアナ州とテキサス州の境界となっているサビーン川 (Sabine River) とすることであった。もちろんスペイン側の要求は以前と変わらず、もっと東にあるアロヨ・オンド川を境界とすることだった。 境界紛争を解決する交渉は、1805年にスペインが米国との外交関係を断ち切ったことで決裂した。1805年10月から1806年10月まで、サビーン川周辺では言葉と軍事の両方の絶え間ない小競り合いが続いた。両国ともに当該地域付近に軍勢を集めているという噂がめぐった。
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