スズキ浜松アスリートクラブ所属時まで
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「安藤友香」の記事における「スズキ浜松アスリートクラブ所属時まで」の解説
高等学校卒業後はスポーツ用品メーカー・ミズノが運営するチームミズノアスレティック入りするも、わずか2年で時之栖へ移籍する。時之栖時代も長く続かず、2014年にスズキ浜松アスリートクラブへ移籍、そこでコーチの里内正幸の指導などもあり、ランニングフォームを改造するなどして躍進するようになる。 2016年、世界ハーフマラソン選手権大会(カーディフ / イギリス)に日本代表として出場して日本人最高の10位と奮闘した。同年のリオデジャネイロオリンピック出場を賭けた第100回日本陸上競技選手権大会では女子10000mで13位、女子5000mで20位 と振るわなかったためにオリンピック出場はならなかった。 2017年3月12日、自身初のフルマラソンとなった名古屋ウィメンズマラソンに一般参加選手として出場、ユニスジェプキルイ・キルワ(バーレーン)に序盤からピタリと食いつくように並走、中盤から両者の一騎打ちの形になり終盤でキルワに突き放されるもペースを落とすことなく最後まで走り切り、2時間21分36秒のタイムで総合2位でゴールインした。このタイムは日本歴代第4位にして、初マラソンにおける日本人最高記録であった。また、同年8月開催予定の第16回世界陸上競技選手権大会(ロンドン / イギリス)の女子マラソンの派遣設定記録である2時間22分30秒を突破、日本代表選手に選出された(ほかスズキ浜松所属の清田真央も、名古屋ウィメンズマラソンで2時間23分47秒の好タイムで総合3位に入り、安藤と共に世界陸上ロンドン大会女子マラソン日本代表に選出された)。 2017年8月6日、2度目のフルとなる世界陸上ロンドン大会・女子マラソン本番に出場。しかしレース中盤の20km付近で、2位集団のペースアップについていけず、メダル争いから脱落。結局日本女子トップで16位の清田とは55秒遅れの総合17位に留まり、8位入賞も遠く及ばなかった。 2018年1月28日、フル3度目の大阪国際女子マラソンに出走。序盤から5km毎に17分5秒前後で走るペースメーカーについたが、20km手前で給水ミスを犯した。その後、25km過ぎに前田穂南(2位・天満屋)の飛び出しに反応出来ず、さらに28km地点では、今回初マラソンだった松田瑞生(優勝・ダイハツ)のロングスパートにも突き離されて、優勝争いから脱落。それでも安藤は3位の位置をキープしたまま、2時間27分台でフィニッシュし、マラソングランドチャンピオンシップ(2020年東京オリンピック女子マラソン選考会)への出場権を獲得した。なお、ゴール後の安藤は「(中間点過ぎで)誰かが動くと予想していたが、前田選手が出てくるとは。気持ちで引いてしまった」と悔しがるも、給水地点でスペシャルドリンクを撮り損ねた後、優勝した松田からドリンクを受け取ったシーンで「改めてマラソンの魅力だと感じた。松田選手の人間性は見習いたい」と感謝していた。
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