シボレー・コルヴェア事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 04:23 UTC 版)
「リアエンジン」の記事における「シボレー・コルヴェア事件」の解説
1950年代中期以降、アメリカ合衆国にはヨーロッパ製の小型乗用車が多く輸入され、特にセカンド・カー需要の分野でアメリカメーカーのシェアを蚕食し始めていた。これに対し、先行して小型車分野に転身していたアメリカン・モーターズ (AMC) に続き、大型車主力の「ビッグ3」(ゼネラルモーターズ、フォード・モーター、クライスラー)も、1950年代末期からアメリカ車としては小型の2,000 - 3,000 ccクラス(世界的には中型~大型車であるが、当時のアメリカでは「コンパクト・カー」とされた)の「小型車」開発に取り組むようになる。 このコンパクトカー開発に際して、ビッグ3の他2社とAMCは、水冷直列6気筒搭載のFRレイアウトという堅実で無難な設計を用いたが、GMだけは独自路線を採った。空冷水平対向6気筒のリアエンジン車「シボレー・コルヴェア」を1959年に発表したのである。レイアウトからは当時アメリカでよく売れていたフォルクスワーゲン・タイプ1(ビートル)の影響が明白であった。 コルヴェアは洗練されたスタイルと斬新なメカニズムで市場にアピールし、その当初大きなヒット作となったが、サスペンション設計とそのセッティングに根本的問題を抱えており、走行中の旋回で横転事故を起こしやすいという危険性を内包していた。この欠陥を消費者運動家のラルフ・ネーダーが指摘し、「危険な欠陥車」として糾弾した。だがGMはコルヴェア問題に適切な対処を行わなかったばかりか、ネーダーの身辺を調査して彼の活動を抑えようとする姑息な対抗手段が露見したことでかえってスキャンダルをこじらせ、大きく信用を損なった。コルヴェアは1968年に製造中止され、以後GMはリアエンジン乗用車を製造しなくなった。 コルヴェア騒動の過程で、リアエンジン車の操縦安定性に関する疑念が大きくクローズアップされた。もともと乗用車クラスのリアエンジン車はオーバーステア傾向が強く、フロントエンジン車に比して直進安定性に劣るきらいがあるため、重量配分やサスペンション・セッティングに配慮が必要である。この問題は小型リアエンジン車でも無視できないものであるが、大型になればなるほどさらに厳しくなる。1950年代以前には、ジャッキアップ現象を起こしやすい古典的スイングアクスル方式のサスペンションがリアエンジン車に多く用いられていたため、旋回時横転リスクの欠点は特に顕著となった。 コルヴェアはこれらの問題に関する配慮が足りなかったために「欠陥車」の悪評を被ることになったのであるが、その余波は他のリアエンジン車にも及んだ。アメリカ市場のリアエンジン車はコルヴェア以外、全てヨーロッパからの輸入車で、大型車は存在しなかった(当時のタトラはアメリカに輸出されていない)のであるが、それでもフォルクスワーゲンをはじめとするリアエンジン車の多くが「危険ではないか?」「横転しやすいのではないか?」と疑念を持たれるようになってしまったのである。
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