映画人
シネアスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/10 17:14 UTC 版)
1963年には自身の制作会社を設立し、50本以上の映画を制作した。フェルナンド・レオン・デ・アラノア(スペイン語版)監督の『カット!』(1996年)や『Barrio』(1998年)、実娘のグラシア・ケレヘタ(スペイン語版)監督の『Una estación de paso』(1992年)や『El viaje de Robert Rylands』(1996年)や『Cuando vuelvas a mi lado』(1999年)を制作している。しかし、ケレヘタがスペイン映画に果たしたもっとも重要な貢献は、カルロス・サウラ、ビクトル・エリセ、マヌエル・グティエレス・アラゴン(スペイン語版)、モンチョ・アルメンダリスらの偉大な監督の作品を制作したことである。 サウラ監督と初めて組んだ1966年の『狩り』はベルリン国際映画祭で監督賞を受賞し、1967年の『ペパーミント・フラッペ』でも同賞を受賞した。『Stress es tres, tres』(1968年)、『La madriguera』(1969年)、『El jardín de las delicias』(1970年)でもサウラ監督の作品を制作。1970年代前半のサウラ監督作では『Ana y los lobos』(1972年)、『従妹アンヘリカ』(1973年)、『カラスの飼育』(1975年)などを制作し、後者の2作品はカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した。1970年代後半には『Elisa, vida mía』(1977年)、『Los ojos vendados』(1978年)、『ママは百歳』(1979年)、『急げ、急げ』(1980年)などでサウラ作品を手掛け、『急げ、急げ』はベルリン国際映画祭で作品賞を受賞した。 1973年にはエリセ監督の『ミツバチのささやき』を制作し、この作品は1973年のサン・セバスティアン国際映画祭で作品賞を受賞している。約10年後の1983年にはエリセ監督の次作『エル・スール』を制作し、シカゴ国際映画祭やサンパウロ国際映画祭で作品賞を受賞した。レオン・デ・アラノア監督作品も3作品手掛けており、2002年の『月曜日にひなたぼっこ』はゴヤ賞で作品賞を受賞した。 1998年にはスペイン映画芸術科学アカデミー(AACCE)によるゴヤ賞功労賞を受賞した。2005年にはスペイン映画批評家協会の功労賞を受賞し、2012年にはフォトグラマス・デ・プラータの功労賞を受賞。2007年にはスペイン内戦の歴史を国外内の立場から語る映像作品『Noticias de una guerra』を制作した。2013年6月9日、肺癌のためにマドリードの自宅で死去した。78歳だった。
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