サファヴィー建築前期とは? わかりやすく解説

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サファヴィー建築前期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 06:00 UTC 版)

サファヴィー建築」の記事における「サファヴィー建築前期」の解説

サファヴィー朝は、イスマーイール1世白羊朝破ってタブリーズ占拠し架空家系図作り上げて国家形成したことに始まる。しかし、初期の時代関心もっぱらシャイバーン朝オスマン帝国国土侵略し、あるいは両帝国から国土防衛することにあり、国政安定しなかったこともあって、織物陶器金属細工などの芸術タフマースブ1世のもとで最盛期迎えるものの、建築発展的な状況アッバース1世時代まで待たなければならなかった。 アッバース1世サファヴィー朝中興の祖呼んでもよいが、ようやくこの時代サファヴィー建築幕開け迎えたアッバース1世は、1598年エスファハーンペルシア新年を祝うと、ここに新しい都を建設することを決定したイスラーム新設都市としてはたいへん珍しいことに、エスファハーン十分な遺構歴史的資料揃っているため、当時の街の状況をかなり正確に復元することができる。このためサファヴィー朝前期建築について知識は、この街にあるものが全てであると言っても過言ではない世界遺産にも登録されているメイダーネ・ナクシェ・ジャハーン(世界肖像広場)は、今日では521m×159mもの大きさであるが、1505年頃に西方一部イスマーイール1世によってすでに整備されていたらしく、サマルカンド庭園の名を採ってナクシュ・イ・ギャハンと呼ばれていた。アッバース1世はメイダーンを再建し両面店舗備えたバザール四辺配置しその内側に中庭向けて開かれた店舗をもう一列設置した中庭向けられ店舗スペースは、広場中央のオープン・スペースから分離されており、広場中央定期市競技公共事業などのために使われていた。 1611年から建設されはじめたマスジド・イ・シャーは、メイダーンの南側にある会衆モスクで、建築家アブール・カーシムによって設計された。メイダーンに面する入り口1616年には完成しており、北側にあるため常に日陰となっているが、現在でも青く輝くタイル・モザイクが強烈な印象与える。本体1638年に至るまで完成しなかったが、ほぼ1000年にも渡ってイスラーム建設され続けたイーワーン形式モスク最高傑作呼べるものである入り口に入るとすぐに巨大なドームを頂く聖域広がり、その両側には交差ヴォールトによって覆われる冬用モスクがある。さらにその外側には開放的な中庭備える。 シェイフ・ルトゥフッラーのモスクは、碑文から建築家ムハンマド・レー・ブン・ウスタド・フサインによって建設されたことが知られ1618年完成したらしい。このモスク皇帝私的礼拝使われたと推定されており、ミナレットがないことも、これを裏付けている。入り口はメイダーンに開かれた中庭面しており、礼拝室回り込むように配置され廊下通って礼拝室に入る。キオスクモスク究極の姿とされるドーム内部はたいへん美しい。 マスジド・イ・シャーとシェイフ・ルトゥフッラーのモスクは、ともに彩色タイルによって覆われドームを持つが、その美しさは量塊を感じさせないほどで、イスラーム美術の粋を感じさせる

※この「サファヴィー建築前期」の解説は、「サファヴィー建築」の解説の一部です。
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