サカイレーシングの取り組み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 05:00 UTC 版)
「マーチ・73S」の記事における「サカイレーシングの取り組み」の解説
サカイレーシングは、由良拓也にマーチ・73Sのカウルの全面改良を委託した。本稿では、由良拓也の取り組み内容に関して、記述する。 1973年 GC第2戦に、フロントカウルの基本形状はマーチのオリジナルを生かして、フロントオーバーハングを延長させてウエッジシェイプに改造して、ダウンフォースを確保した。 リアカウルは、ドライバ席後部のフィンを延長してこの部分をウイングサポートとして、リアカウルの上面よりもやや高い位置に設置している。リアウイングのシャーシへの固定は、ヒーローズレーシングと同様F2と同じ固定方法であるが、固定用板の間隔をドライバ着席部のリブ幅に合わせて設置した。 1974年 由良は、1974年シーズンに向けて、高速サーキットである富士のコース特性に合わせた低ドラッグを狙ってカウルを全面変更した。 具体的には、フロントカウルは、最前面に大きな一体式チンスポイラを設けて、ホイール収納部とセンタ部で立上り形状を変えている。ダウンフォースは、チンスポイラとカウル中央部で確保している。 センターカウルは、マーチのオリジナルカウルと異なり、側面の上部からラジエタ冷却用のエアを取り入れるようにした。 リアカウルは、ロングテールにして、リアオーバーハング部のカウル天面位置を下げ、それまでのカウル天面位置にリアウイングが設置できるように配置した。 しかしながら、1974年6月の富士GC第2戦の事故をきっかけに、サーキット運営会社(FISCO)は、バンクの使用を中止した。そのため、酒井レーシング用のロングテールカウルは、そのメリットを発揮できなくなった。そこで富士GC第3戦からリアオーバーハング部をフェンダ後端で切り落としして軽量化したカウルを投入した。また フロントカウルの形状も微妙に変化させて対応しようとしたが、結果的には、うまく対応が取れなかった。 1975年 由良拓也は、高原レーシングからマーチ74S用のスペシャルカウルの発注を受ける。 内容は、センターカウルは、マーチオリジナルのカウルを使用するが、フロントとリアカウルを大幅に変更してほしいとの内容である。 この内容を受けて、由良は、オリジナルカウルの持つ低ドラッグ性を生かして、高ダウンフォースの獲得が実現できるフロントカウルフロントを作成した。カウル中央部にこの基本的なダルノーズ形状を示す幅広の溝部を設定し、この溝部から前輪のホイールハウスは、なだらかな曲面にて覆う形になっている。溝部は、オリジナルカウルより広く取られていた。最前面に大型のリップスポイラを設置して、フロントカウルの浮き上がり防止とダウンフォース獲得を狙っている。 また 運転席の中央に設置されたバックミラーカバーにフロントカウルを模写したカバーを設置した。 リアカウルは、運転席と助手席の両方のロールバーを一体型で覆うクローズドルーフにして、ロールバーの天面からなだらかな傾斜でリアウイングに空気が流れるようにしている。クローズドルーフ以外の場所は、フロントカウル最高面から続く平面になっている。またリアフェンダ中央部の後半からフィンを立ててリアウイング翼端板を一体化して、ウイングに効率よく空気が当たるようにした。 エアインテークに関しては、カウル中心部に大きなインダクションボックスを立て、動圧を積極的にとるようになった。しかしながら、1978年の車両規定の変更により、ロールバーが車高で最も高い位置にせざる負えなくなったので、従来の助手席上部かクローズドルーフの左右両側のいずれかに設置するようになった。 このカウルは、翌年の1976年から。ムーンクラフト(MCS)から市販される。カウルを購入したチームは、フロント先端リップスポイラの形状やリアカウルのフェンダ後部形状やインダクションボックスの位置等を自チームでの使いやすさに合わせて改造して使用した。 1977年に従野は、RE用にこのムーンクラフトカウルの大改造を行う。 フロント荷重の不足を感じていたので、フロントにラジエタを移設すると同時に、サイドラジエタ用のインテークの形状を拡大してラジエタ容量を拡大して、オイルクーラの容量を拡大した。その結果、同年9月のGC第3戦でRE搭載車の初優勝ができた。またカウルの軽量化のために、FRPをCFRPに変更した。
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