コースの安全性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 08:40 UTC 版)
「モンテカルロ市街地コース」の記事における「コースの安全性」の解説
コースは約33kmのガードレールで囲まれ、650名のコースマーシャルと120名の消防士がアクシデントに備えている。事故に備えて各所にクレーン車が配備され、リタイアしたマシンを速やかに撤去する。救急時に医師が移動できる外周路がないため、各ポストには医療チームが配置されている。1955年にアルベルト・アスカーリがマシンもろとも海中に転落して以来、ヌーベル・シケインには潜水夫が待機している。各セッション開始前には、港に停泊する船舶に岸から離れるよう指示が出される。 このサーキットでは、過去に2件の死亡事故が起こっている。 1952年5月31日、ルイジ・ファジオーリがスポーツカーレースの練習走行中にトンネルでクラッシュし、側壁に激突。左足を負傷し、意識不明から回復するも容態が急変し6月20日に死亡。手術の際の医療ミスが原因だと言われている。 1967年5月7日、モナコグランプリでロレンツォ・バンディーニがシケインでコースアウトし、街灯に激突してマシンが炎上。バンディーニは全身に火傷を負い、3日後に死亡した。 死亡事故には至っていないが、ヌーベル・シケインの本コースとエスケープロードを隔てる並木に設置されたバリアは危険箇所となっている。シケインへのブレーキングで挙動を乱してスピン状態となり、マシン側面からバリアの先端に激突して、ドライバーが頭部にダメージを負うというパターンが共通している。 1994年 - ザウバーのカール・ベンドリンガーが予選中に激突し、事故から25日間意識を失う重体となる。前戦サンマリノGPのアイルトン・セナの事故死やこの事故を教訓に、コクピットのサイドプロテクター装備が導入された。 2003年 - B・A・Rのジェンソン・バトンが土曜日のフリー走行で激突し、大事をとって決勝を欠場した。この事故以降、バリアの位置が後方に下げられた。 2011年 - ザウバーのセルジオ・ペレスが予選Q3で激突。脳震盪を起こし、決勝と次戦カナダGPを欠場した。この事故以降、付近にあったクレーン車が撤去され、バリアの位置がさらに後方に下げられた。
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