コルシカ独立戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/02 18:30 UTC 版)
コルシカ独立戦争(コルシカどくりつせんそう, 仏: Les Guerres d'indépendance corses)は、1729年12月にジェノヴァ共和国に抵抗する農民反乱が起こったのを契機に、1769年6月までの40年間にわたって、コルシカ人が周辺諸外国の干渉と戦った独立戦争である。別名で40年戦争とも言い、啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーが「ヨーロッパで唯一、立法可能な国」としてコルシカ島を名指しして有名になり、後には自身でも憲法草案[1]を起草するなどしたことからコルシカ革命(La Révolution Corse)とも呼ばれる。
- ^ サンピエーロ・ウ・コルスまたはサンピエーロ・ディ・バステリカ。フランソワ1世とアンリ2世に使えた軍人。フランス軍元帥のアルフォンス・ドルナノの父。(Sampiero Corso)
- ^ コルシカ人の風習で、一族(クラン)の名誉を守るための一種の名誉殺人のこと
- ^ 民衆代表のルイージ・ジャッフェーリ(Luigi Giafferi)、貴族代表のアンドレア・チェッカルディ(Andrea Ceccaldi)、聖職者のアベ・ラッファエッリ(l'abbé Raffaelli)の3名
- ^ ただし独立が未承認である上に、国家としても成り立っていたと言えるか微妙な状態であったため、公式なものではない。あくまでも、形式的に憲法を持つ、君主国家というのみ
- ^ ナポレオンは生まれるのが2ヶ月早かったら、フランスで生まれたことを条件とする後の国籍法で、外国人に指定されるところであった
- 1 コルシカ独立戦争とは
- 2 コルシカ独立戦争の概要
- 3 参考文献
- 4 関連項目
コルシカ独立戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 12:54 UTC 版)
「コルシカ独立戦争」も参照 1729年に始まるコルシカ独立戦争はかつてなく大規模かつ組織的な闘争だったためにジェノヴァはこれを抑えられず、1768年にジェノヴァとフランスはフランス軍をコルシカに派兵するかわりにジェノヴァは一定期間のコルシカ統治権をフランスに譲るという内容の、ヴェルサイユ条約を締結した。一方のコルシカは1755年、独立運動の指導者パスカル・パオリを首班とする独立政府を樹立し、コルシカの国歌や国旗、憲法、通貨や大学、徴兵制など近代国家の原型ともいえる制度も創出していった。フランス軍とコルシカ軍との間で戦争が始まると(en:French conquest of Corsica、1768年 - 1769年)、1768年10月のボルゴの戦い(フランス語版)ではバスティア南郊でコルシカ軍はフランス軍を駆逐したが、1769年5月のポンテ・ノーウ(ポンテ・ヌオーヴォ)の戦い(フランス語版)(フランス語: Bataille de Ponte Novu、イタリア語: Battaglia di Ponte Nuovo)では、フランス軍の圧倒的兵力の前にコルシカ軍は敗れ去り、パオリは英国に亡命する。これ以降、コルシカ島は完全にフランス領になった。のちにフランス皇帝となるナポレオン・ボナパルトが生を享けるのは、この戦役から3か月後のことである。
※この「コルシカ独立戦争」の解説は、「コルシカ島」の解説の一部です。
「コルシカ独立戦争」を含む「コルシカ島」の記事については、「コルシカ島」の概要を参照ください。
- コルシカ独立戦争のページへのリンク