コルシカ王国の建国と崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/17 15:12 UTC 版)
「テオドール・シュテファン・フレイヘル・フォン・ノイホフ」の記事における「コルシカ王国の建国と崩壊」の解説
ジェノヴァにおいて、ノイホフはコルシカの独立運動家たちと知己を得た。彼らはノイホフにジェノヴァ共和国の圧政からコルシカを救うよう求めるとともに、「コルシカ王」となることを持ちかけた。これに応じたノイホフは、チュニジアのフサイン朝のベイの助力を得て、1736年3月に軍勢を連れてコルシカ島に上陸した。島民はノイホフをコルシカ王に選出し、戴冠した。ノイホフはテオドロ1世を名乗り、王として騎士団創設やジェノヴァ共和国との戦争を命じる勅令を発した。当初は度々勝利を収めたものの、コルシカ独立派内の抗争が勃発し、最終的に敗北した。共和国はノイホフの首に懸賞金をかけるとともに彼のスキャンダラスな過去を暴く文書を出版した。コルシカ島上陸からわずか8か月後の11月、ノイホフは外国の援助を求めに行く体でコルシカ島を逃れた。スペインやナポリ王国に保護を求めた後ホラントに向かったが、アムステルダムで借金を理由に一時拘束された。
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