キリスト教帝国の解体とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > キリスト教帝国の解体の意味・解説 

キリスト教帝国の解体

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:57 UTC 版)

中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「キリスト教帝国の解体」の解説

詳細は「東フランク王国」、「西フランク王国」、および「中部フランク王国」を参照 広大な帝国カール大帝自身個人的な資質支えられるところも大きく、またフランク人伝統に従って分割される危険をはらんでいた。すなわちフランク王国では兄弟間による分割相続慣習となり強固な意識となっていたので、806年カール大帝王国分割令を発布し長子カールアーヘンなどを含む帝国中枢であるフランキアを、ピピンにイタリア・バイエルン・アレマニア南部を、ルートヴィヒアキタニア支配権領地分割確認した。しかし、皇帝継承については明記されていなかった。ビザンツ帝国とは806年よりヴェネツィア軍事衝突繰り返していたが、810年フランク王国ビザンツ帝国和平し、ビザンツ皇帝カールお互いに皇帝」の称号認めたピピンカールマン早逝していたので、唯一生き残ったルートヴィヒルイ)をアーヘンにおいて813年9月に共治帝(共同皇帝)とした。共同皇帝制度ビザンツ行われていた制度であったまた、ルートヴィヒ戴冠式教皇参列しなかった。翌814年1月に「キリスト教帝国」を夢見たカール大帝亡くなったルートヴィヒ1世817年帝国計画令(帝国整備令また帝国整序令)」を出して長子ロタール1世皇帝位与え、他の王子それぞれ王として次子ピピンアキテーヌの、末子ルートヴィヒバイエルン支配権確認した。この時点ではロタール1世イタリア支配権認められており、彼は後継者として尊重されていた。しかしシャルル生まれると、ルートヴィヒ1世はこの末子のために829年フリースラント・ブルグント・エルザス・アレマニアに及ぶ広大な領土与えこととしロタール1世もこれを承認した内心これを不満に思っていたロタール1世830年反乱しルートヴィヒ1世退位させて単独となったが、ピピンルートヴィヒがこれに対抗してルートヴィヒ1世復位させた。その後840年ルートヴィヒ1世死後兄弟たち激し抗争繰り広げた841年ロタール1世シャルルルートヴィヒオーセール近郊戦いフォントノワの戦い)、ロタール1世敗北し842年兄弟は平和協定を結び、帝国分割合意することとなった843年ヴェルダン最終的な分割決定され帝国はほぼ均等に三分されることとなったヴェルダン条約)。帝権ロタール1世保持し、さらに850年ロタール1世子息ルートヴィヒ2世ローマで戴冠させることに成功したロタール1世855年帝位イタリア王国ルートヴィヒ2世に、次子ロタール2世ロートリンゲン三男シャルルブルグント南部プロヴァンス支配認めた863年シャルルが死ぬと、遺領ルートヴィヒ2世ロタール2世の間で分割され帝国イタリア東フランク・西フランク・ロートリンゲンの4王国構成されることとなった869年ロタール2世没すると、西フランク王シャルルロートリンゲン継承したが、翌870年東フランクルートヴィヒがこれに異を唱え両者メルセン条約を結び、ロートリンゲン分割したメルセン条約)。西フランク王シャルル875年ルートヴィヒ2世の死後イタリア王国帝位確保した876年東フランクルートヴィヒ死に際して、シャルル東フランクにも支配権及ぼそうとしたが、アンデルナハ近郊ルートヴィヒ息子たち戦って敗れ、翌877年失意のうちに没した

※この「キリスト教帝国の解体」の解説は、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の解説の一部です。
「キリスト教帝国の解体」を含む「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事については、「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「キリスト教帝国の解体」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「キリスト教帝国の解体」の関連用語

キリスト教帝国の解体のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



キリスト教帝国の解体のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中世ヨーロッパにおける教会と国家 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS