ルートヴィヒ2世の死後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 08:08 UTC 版)
「ノイシュヴァンシュタイン城」の記事における「ルートヴィヒ2世の死後」の解説
ルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点で、ノイシュヴァンシュタイン城は王の構想の一部を実現したに過ぎず、未完成部分を多く残していたが、建設工事はこの時点で中止された。その後1886年8月1日から城の内部は観光施設として有料で一般公開された。また、城の名前も正式に「ノイシュヴァンシュタイン城」と定められ、1886年8月5日付け発行の最初のガイドブックで明記された。摂政公ルイトポルト・フォン・バイエルンから依頼を受け、建築家ユリウス・ホフマン(英語版)は、1890年から1892年まで最低限の工事を続行し、婦人館と四角塔を完成させたが、尖塔などの外部装飾や室内装飾は最低限のものにとどめた。主塔と礼拝堂の建設は見送られた。
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