キハ60系の挫折
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 17:49 UTC 版)
「国鉄キハ60系気動車」の記事における「キハ60系の挫折」の解説
完成したキハ60系は早速テストに供されたが、試験運転してみると、水平シリンダーの大排気量エンジンは必ずしも好調ではなかった。水平シリンダーは、垂直シリンダーに比して潤滑が難しかったのである。更に、一気筒当りの排気量が気動車用には大き過ぎたのも、新エンジン開発の足枷となった。 また肝心の大出力対応型変速機は、適切に作動させることができなかった。ことに直結の低速段・高速段間の切り替えは、トルクコンバータの滑りを利用できないため回転差のショックが激しく、ついにこれを克服し得なかった。 当時は電子制御技術以前の時代で、コントロールはエンジン・変速機とも機械式ガバナーに頼るほかなかったが、いずれも細やかな制御は不可能だった。当時の日本の技術水準では、大排気量エンジンと直結2段変速機をスムーズかつ緻密に同調させることができなかったのである。 キハ60系における大出力エンジンと直結2段変速機の試みは、結局失敗に終わった。同系列の機器はDMH機関と通常型の変速機に載せ替えられた、外吊り式客用扉も予備品の確保に問題があったため後に通常の引戸に改造されキハ55系と大差ない体裁となった。また、キロ60では冷房試験を行う予定だったが、エンジンのトラブルにより冷房試験は中止となった。3両とも準急・急行列車や久留里線での普通列車運用を経て1978年までに廃車された。保存された車両はない。 しかし、ディスクブレーキ装備の空気ばね台車だけは、のちにキハ82系特急形気動車に採用され、高速域からの優れた制動能力を発揮して所期の成果を挙げた。 また、2軸駆動についても横はりをなくしたボルスタレス台車がキハ90系で試作され、以降ボルスタレス台車が一般的となっていった。
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