カー神官の出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 09:11 UTC 版)
「古代エジプトの宗教」の記事における「カー神官の出現」の解説
墓に食べ物や飲み物などの供物を供えることは、死者の後継ぎ、および子孫の義務であるが、幾世代も経つと、この義務を行なうことは、次第に困難になっていった。そして、しばしば墓は放置され、カーは飢餓に脅かされた。そこで供物を捧げる次のような方法が考案され実施されるようになったが、これは、死者の安泰のために供物がいかに重要なものと考えられていたかを示している。 その方法とはすなわち墓の礼拝所の中にある平らな祭壇の上に日々の供物を置き、必要な祈りを唱えるため、カー神官が雇われるという新たな慣習が導入されたのである。被葬者あるいは王の土地の一部が、神官に委託され、その土地で収穫された作物は墓に捧げる供物となったばかりでなく、この役目を永遠に任せられたと考えられていた神官や、その子孫の生計も賄われていた。しかし、二世代も経つと、神官もその義務を怠るようになったために、またも、供物を捧げるための新たな方法を考案しなければならなかった。 そこで考案された方法が、墓に壁画を描き、呪力により、被葬者に十分な食糧を確保し、その家族やカー神官に依存しなくて済むようにしたことである。実際、収穫や屠殺、ビール作り、あるいはパン作りなどの様子が描かれていた。また、供物リストは一定の様式をもって記され、被葬者に豊かな食糧を約束していた。供物リストの横に、うず高く食べ物が積まれたテーブルの前に座る被葬者の姿がしばしば描かれている。 第4王朝になると、先に述べた死者へ捧げる供物の供給を担う町などが増え、またカー神官の出現に伴い、そのカー神官、また貴族も免税特権を持つことにより、王の税収は激減した。結果、王家の財力は衰退し、第4王朝以後、貴族が力を持ち始めた。 追い打ちをかけるように、太陽神ラー信仰が勢いを得て、王の絶対的支配とその神性に影を落とした。ラーは王家の守護神となり、国家の神となった。 本来、貴族と葬送建造物に対して与えられていた基金や免税の特権は、太陽神殿にも与えられるようになり、神官の富は増大し、彼らの力は強大なものへと変わっていった。 彼らの台頭は、王権を弱めることとなり、第5王朝になると、王はラーに従属するものとして、以前は神と同等の力を持っていた王に、「ラーの息子」という従属的な称号と役割を持たせるようにした。 そのことは王の血縁が占めていた行政組織の高位の位置を、貴族が占め、世襲制になっていった様相から見て取れることができる。
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