ラー信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 09:11 UTC 版)
太陽神ラーに関する信仰は、先王朝時代後半にエジプトで確立していた可能性がある。元々イウヌゥの町(後のヘリオポリス)には、アトゥム神の信仰があったが、ラーが取って代わり、第2王朝時代まで王家の神ホルスと結びついていた王が「ラーの息子」という称号を持つようになるまでに、ラー信仰は発展していった。さらに、中央に点を持つ円として表現される太陽の象徴は、先王朝時代後半に出現する。 ラー信仰が発展していくと同時に、王の力は弱まり、逆に神官たちの力が増大した。その関係は、政治にまで現れており、第5王朝時代になると、王位に就くためには、ラーの神官たちの介入や積極的な支持が必要となった。
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ラー信仰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:35 UTC 版)
トトメス4世が残した「夢の石碑(英語版)」に、太陽神信仰の片鱗を見て取ることができる。トトメス4世が皇太子ですらなく一介の王子であったとき、当時太陽神像とみなされていたスフィンクスの陰で昼寝をした。ここでその夢の中に太陽神ラーが現れ、砂に埋もれている自分の像から砂を除いてくれれば王位を与えると約束した、との記述があるのである。この神がトトメス3世やハトシェプストの場合のアメンではなく太陽神ラーであることより、トトメス4世がアメン神官団の影響からの脱却を意識的に試みていることが推察される。
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