オランダ軍の第二次警察行動とは? わかりやすく解説

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オランダ軍の第二次警察行動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:31 UTC 版)

インドネシア独立戦争」の記事における「オランダ軍の第二次警察行動」の解説

1948年1月23日、同協定批准する見込みのなかったアミル・シャリフディン内閣総辞職しその後引き継ぐ内閣を担う意思能力のある政治家既存政党にはいなかった。大統領スカルノは、1月29日副大統領ハッタ超党派内閣組織させ(首相国防相兼任)、レンヴィル後の国内混乱収拾し、オランダとの外交交渉継続していくことになった一方でレンヴィル協定反対するインドネシア共産党PKI)をはじめとする徹底抗戦派および左派勢力糾合され、スカルノハッタらの外交路線対立した。この政府左派勢力対立のなかで、1948年9月18日PKI影響下にある部隊ジャワ島東部マディウン政府機関を襲撃し革命政府樹立宣言したマディウン事件)。1ヶ月ほどでこの反乱鎮圧されたが、共和国内部での混乱乗じてオランダ12月11日和平会談決裂宣言12月19日早朝共和国領内への全面攻勢開始された(オランダではこれを「第二次警察行動」という)。 オランダ空軍爆撃機によってジョクジャカルタのマグオ空港空爆され、オランダ海兵隊蘭印軍地上から侵攻し12月23日までにはジョグジャカルタ陥落させた。当時ジョクジャカルタ共和国側には3個中隊の兵力しかなく、オランダスカルノ大統領首相副大統領ハッタ、そして閣僚大半逮捕した共和国側はスマトラ臨時政府樹立臨時首相はシャフルディン・プラウィラネガラ蔵相)を宣言逮捕されスカルノオランダとの交渉継続破棄し徹底抗戦全国民訴えたこのように共和国政府の存続国際的にアピールするとともにインドネシア側の武装勢力組織的な抵抗開始したスディルマン国軍司令官号令の下、農村部地方都市ゲリラ戦治安撹乱をすすめ、1949年3月1日にはオランダ占領下ジョグジャカルタ奪還作戦敢行し、一時オランダ軍窮地追い込んだオランダ全面攻勢によってインドネシア共和国存続の危機瀕したが、オランダの軍事勝利外交的敗北始まりだった。オランダインドネシア各地設立した傀儡国家では急速にオランダ離れがすすみ、これらの地域が後にインドネシア共和国合流する素地作ったまた、国際世論植民地主義固執するオランダ激しく非難し国連安保理12月24日決議オランダに共和国指導者釈放要求したとりわけマディウン事件左派勢力一掃したハッタ政権高く評価していたアメリカは、オランダへ経済援助停止通告し和平協議復帰への圧力をかけた。 こうした国際世論圧力のもとにオランダ和平受諾追い込まれて行く。また、インドネシアにおける過大な軍事費支出は、ドイツ占領疲弊したオランダ経済にとって耐え難いものとなっていたのである

※この「オランダ軍の第二次警察行動」の解説は、「インドネシア独立戦争」の解説の一部です。
「オランダ軍の第二次警察行動」を含む「インドネシア独立戦争」の記事については、「インドネシア独立戦争」の概要を参照ください。

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