ウェアリスト(着る人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 02:35 UTC 版)
「山口小夜子」の記事における「ウェアリスト(着る人)」の解説
着物をまとい、たおやかな理想の女性を演じる一方で、小夜子は、例えば1977年の時点で、ロンドン・キングスロードの動向やパンク・ムーヴメントについて中西俊夫らと雑誌で情報交換するなど、新しいもの、オルタナティヴなものに対する強い感受性を持っていた。2000年代に入った晩年の数年は、彼女のそうした側面が遺憾なく発揮された、最も自由な時間だった。 こうした活動に、晩年は「ウェアリスト(着る人)」と名乗り、自らの身体において、ファッションだけでなく、ダンス/舞、音楽、映像、文学など諸芸術が交錯する表現を展開した。 クラブカルチャーを舞台に様々な表現を始め、DJとしての活動、また多くの表現者と様々な表現に挑戦していた。2002年、藤乃家舞(CDJ、ミキサー、FX担当)、宇川直宏(VJ担当)と『SUNZU』を結成。音楽活動としては、後にラッパーのA.K.I. PRODUCTIONとも電子音楽ライブを行っている(小夜子は、DJ・ミキサー・声を担当)。 2003年、映像作家、VJとして活躍していた生西康典、掛川康典と、舞、ファッション、音楽、映像、朗読などが一体化したパフォーマンスを展開。山川冬樹ら若い世代のパフォーマーたちとも積極的に共演する。これは晩年「ウェアリスト(着る人)」を名乗った彼女の、映像や音楽、空間を「纏う」という独自の表現の完成を示していた。2007年には、生西康典、掛川康典と自身の主演映画を共同監督する予定だったが、この計画は彼女の突然の逝去で断たれることになる。 一方、2005年から写真家 高木由利子と雑誌、およびWebサイトで連載した『蒙古斑革命』は、彼女が興味を持つ世代を超えた表現者たちにインタビューしていくもので、諸文化の混合した現在の日本を、自らのありのままの出自として受け止める人々の連帯がここに示されている。かつてナショナリスティックな「日本」イメージのアイコンであった小夜子。しかし彼女自身は、早くから中国や朝鮮半島も含めた各種の身体表現、衣装やメークを通して、日本だけでなく東アジア人であることと内側から向き合おうとしてきたのであり、「日本なるもの」を再定義するようなこのプロジェクトはその集大成とも言えるものであった。(Webサイト『蒙古斑革命』はサーバーダウンにより全データが消失し、しばらく閲覧できない状態だったが、2017年から「The Salvage Project of 蒙古斑革命」として、サイトの復元が行われている。)
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