ウィリアム1世とは? わかりやすく解説

ウィリアム1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 09:56 UTC 版)

イングランド教会史」の記事における「ウィリアム1世」の解説

エドワード懺悔王死後1066年ヘイスティングズの戦い勝利したウィリアム1世がイングランド王即位してノルマン朝開始したウィリアム自身王権強化しようとして、イングランド強力な支配権打ち立てようと試みイングランド国内司教大修道院長を自ら指名し指輪司教杖与えて叙任した。このことは当時教皇庁進めていた、俗人による聖職叙任排除しようという改革運動真っ向から対立するものであったウィリアムノルマンディー公時代から教会改革精神には賛同し、自領の聖職者倫理的道徳的改革には熱心であった。しかしグレゴリウス改革主眼である聖職叙任権については、自己の意志貫徹しノルマンディー公時代から世俗家系の者を司教位につけ、イングランド征服後も征服以前ウィリアム仕えていた有力者優先的に司教任じた。。 1073年グレゴリウス7世登極すると、グレゴリウスウィリアム説得して俗人叙任止めさせようとしたが、徒労終わったウィリアム勅令出してイングランド臣下国王同意しない破門宣告同意することや、司教国王無断出国すること、国内聖職者国王認めない教皇書簡受け取ることを一切禁じたウィリアム宗教政策カンタベリー大司教ランフランク協力によって推進された。ランフランクはまず、カンタベリー大司教イングランドにおける首位性を確立するため、ヨーク大司教トマス服従誓願迫り、それを取り付けることでイングランドにおけるカンタベリー大司教首位権確立大きな前進もたらした。ウィリアム1世の下に王国統一するためにもこれは必要なことであったランフランクカンタベリー大司教イングランドにおける首位性が確認されないならば、ヨーク大司教カンタベリー大司教別個にイングランド王聖別できる可能性があり、王国統一にとって不利益であることを示唆した。この逸話についてはあまり重視しない見解もある。 ローマ教皇庁地域的な首位教会という考えには反対であったので、これを支持しなかったが、ウィリアムランフランク伝統的な政教協力思想の下に、イングランド強力な政府樹立しイングランド教会独立守り抜いた。このカンタベリー大司教首位権確認が、イングランド王国信仰通じた一つ共同体変え普遍的カトリックからの切り離しもたらし、のちの国民国家へつながる枠組み萌芽成立させたという見解もある。

※この「ウィリアム1世」の解説は、「イングランド教会史」の解説の一部です。
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