ウィリアム3世の到着
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/14 15:35 UTC 版)
「ウィリアマイト戦争」の記事における「ウィリアム3世の到着」の解説
8月14日、ウィリアム3世の命令でフレデリック・ションバーグ公爵と直属軍が北東のキャリクファーガス湾に上陸、ベルファストから南下したが、ジャコバイト軍のティアコネル伯は正面から当たらず、ゲリラ戦術と焦土作戦で対抗した。冬になるとウィリアマイト軍は貧弱な補給と寒冷な気候に悩まされ、多くが病に斃れベルファストへ撤退した。この事態に有効な手だてをうたなかったションバーグは、現代イギリスにおいて無能な指揮官との烙印を押されている。 無策なションバーグにしびれを切らしたウィリアム3世は自ら上陸する決意を固め、翌1690年6月14日、キャリクファーガス湾に300隻からなる艦隊及び36,000の陸軍を引き連れて上陸、ベルファストから南下して各地でジャコバイト軍を破り、7月12日にボイン川の戦いで決定的勝利をもたらした。ションバーグはこの戦いで戦死したがダブリンは無血占領され、ジェームズはフランスに逃げ帰ってしまった。アイルランドを見捨てたジェームズの人気は急速にしぼみ、『くそったれのジェームズ』(James the Shit)とよばれた。
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