インド近海の磁石の山伝説
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「磁石の山」の記事における「インド近海の磁石の山伝説」の解説
磁石が鉄を引きつけることは古代から知られていたが、磁石の山の伝説もまた、古代から伝えられている。古代ローマの博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、著書『博物誌』第2巻において、次のように記している。 インダス河の近くに2つの山があって、そのひとつは鉄を引きつける性質があり、いまひとつは鉄を退ける性質がある。したがって人が釘を打った靴を履いていると、一方の山の上では一歩毎に足を地面から引き離すことができないし、いま一方の上では足を地面につけることができない。 また、クラウディオス・プトレマイオスの著書『地理学』においても、Ⅶ(インド)・2において、 なお人の話によれば、マニオライと呼ばれる、十余りの隣接する島々があり、おそらくヘラクレスの石を産するためであろう、鉄釘をつけた船は引き寄せられるということだ。またそこでは人びとは木釘で船を作っている。 と述べられている。ここに登場する「マニオライ」とはモルディブ諸島を指すという説もあるが、具体的な位置ははっきりしていない。さらに、『太清金液神丹経』などによれば、呉の万震が著した『南州異物志』(現存しない)には、句稚国の北東にある漲海は水が浅く磁石が多いため、船が磁石に行く手を阻まれるといった記述があるという。 このような話が伝わった理由の1つとして、インド洋では鉄を使わない船(ダウ船)が実際に使われていたことがあげられる。たとえば1世紀に書かれた『エリュトゥラー海案内記』には、マダラタという鉄を使わない船が紹介されている。こうした船を見て奇異に思った航海者たちによって、磁石の山の話が作られ広まったと考えられている。 時代は下って、10世紀後半にブズルク・ブン・シャフリヤールが編纂した『インドの驚異譚』では、小中国の主都ハーンフーと大中国の首都フムダーンの間を流れる川には幾つもの磁石の山々があり、鉄を積んだ船を吸い寄せるという記述がある。また、1356年に書かれたジョン・マンデヴィルの『東方旅行記』には、インドの皇帝プレスター・ジョンの領海には巨大な磁石の岩があり、さらにそこから離れたケルメスという島にも海中に磁石の岩があるので、船を造るのに釘や鉄のたがを使わないと記載されている。さらに、15世紀にドイツ大衆の間で広く読まれていた『聖ブランダン航海譚』にも、「粘りつく魔の海」には磁石があって、近づく鉄をことごとく引き付けると述べられている。この時代の書物はフィクションとノンフィクションの境があいまいなため、どこまでが事実として書かれているかはっきりしないが、当時の人々はこれらの話を事実として信じていた。 1492年にマルティン・ベハイムによって作られた現存する世界最古の地球儀では、ジャワ島の北東にプトレマイオスが語ったマニオライ諸島が描かれ、「磁石があるために、鉄をもつ船は近くを航行することはできない」と書かれている。しかし1498年、ヴァスコ・ダ・ガマによってインド航路が開拓され、インド洋海域の知識が得られるようになると、インド近海における磁石の山は地図から姿を消した。
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