イスラエル軍の増強
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 08:51 UTC 版)
「中国農場の戦い」の記事における「イスラエル軍の増強」の解説
予想外のエジプト軍の抵抗が、南部方面軍司令部に計画の変更を余儀なくさせた。アダンの前進指揮所を訪問したゴネン(英語版)は、「シャロンは我々の期待に背いている」と言及し、浮き橋を運河まで移動させる任務をアダンに託した。アダンは橋を配置するため、アカビシュとティルツールの両道路を掃討する準備を行っていたところであった。ゴネンはシャロンにアダンへの新たな命令を知らせて、シャロンに中国農場と、また農場や運河の近傍のエジプト軍陣地を奪取する任務を託した。配下部隊を再編する必要があり、アダンが運河に至る道路を開いたところで農場を奪取するとシャロンは提案し、ゴネンは同意した。ダヤンやバーレブ(英語版)との後の会合で、ゴネンは架橋がなされるまではこれ以上の部隊が渡河することはないとする後者の言明を繰り返し、状況がさらに悪化するならば、空挺部隊の撤退もありうると付け加えた。 タサの南に集結したイスラエル軍第162師団は、10月16日の夜明け以降、運河を渡るため待機していた。師団は運河へ向けて進んだが、その動きは運河に至る道路の大規模な渋滞で妨げられた。アカビシュが封鎖されていることを悟ったアダンは、戦車大隊へ方向転換機動を行い、砂漠を横断してデバーソワーへ到達するように命じた。そちらが到着すると、シャロンはアダンに接触し、レシェフの困難な状況を説明して、当の大隊を自分の指揮下に置くよう求めた。アダンはこれを受け入れ、シャロンは代わりに、後退して再編成し、自らの旅団を戦車大隊に置き換えるというレシェフの求めを受け入れた。 新たな命令を受けた後、アダンはアブデル・ハミドのエジプト軍第16旅団に対峙する一連の陣地を占拠すべく、配下の師団を移動させた。アダン配下の1個機甲旅団は南部方面軍司令部の下に、予備兵力として置かれていた。ティルツールを塞いでいるアブデル・ハミドの左翼側歩兵大隊は、西方へ攻撃を仕掛けるイスラエル軍戦車を撃退し、道路を開くアダンの試みを阻んだ。歩兵の援護なくしては、エジプト軍陣地の突破は高い代償を伴うとアダンは悟った。しかしながら14時、南部方面軍司令部はアダンに、スエズ湾のラス・セドル(英語版)から運河の80キロ(50マイル)東のレフィデムにヘリコプターで輸送された第35空挺旅団を、間もなく彼が受領すると知らせた。当の旅団はバスで運河へと進み、アカビシュ道路の渋滞で大いに遅延を喫した。アダンは部隊到着を夕暮れのかなり前と見込んでいたが、旅団指揮官のウジ・ヤイリ(英語版)大佐の到着は22時になってからであった。旅団の残りはじきに、バスが完全に立ち往生した後に、ヘリコプターで運ばれて到着した。
※この「イスラエル軍の増強」の解説は、「中国農場の戦い」の解説の一部です。
「イスラエル軍の増強」を含む「中国農場の戦い」の記事については、「中国農場の戦い」の概要を参照ください。
- イスラエル軍の増強のページへのリンク